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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2023.3.5 主日礼拝 主イエスの許に帰ろう⑯「貫かれた愛」友納靖史牧師【マルコによる福音書 14章12~26節】(新共同訳 新約P.91~92)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                     
招詞   ヘブライ人への手紙 9章11~12節  司式者
祈祷          司式者
賛美   新生105番「くしき主の光」1.3.4節
献金感謝            司式者
聖書   マルコによる福音書 14章12~26節
主の晩餐をおぼえての黙想「ひとつの聖霊」2.3節
宣教   主イエスの許に帰ろう⑯「貫かれた愛」友納靖史牧師
祈祷
賛美   新生304番「主の血に贖われ(B)」1.2節
頌栄    新生669番「みさかえあれ(B)」
祝祷
後奏
宣教概要
 パンと杯を用いて行う「主の晩餐式」を休止して丸三年経過しました。しかし遂に来月4月2日の第一主日より再開する喜びの時を迎えようとしています。私たちが「主の晩餐」を「バプテスマ」と共に『二つの礼典』として大切に行う理由は、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい(ルカ22:19)」と主が命じられたからです。幸いバプテスト教会は、パンと杯はキリストの体と血の『象徴』と解釈するので、直接食さないとキリストの恵みと祝福に預かれないとは教えず、主の貴き犠牲と愛を信仰で受けとめ、その意味を想起することを重視する信仰共同体です。ですからコロナ危機突入で休止し、再開のこの日に至るまで平安に満たされていた幸いを主に感謝します。
 「主の晩餐式」の起源は、出エジプトを想起し感謝する「過越しの祭(食卓)」を主イエスと弟子たちが行ったことです。福音宣教の旅を続けた主と弟子たちは定住の家はありませんでした。ですから年に一度全ての家庭が共に集い、エジプトの奴隷としての苦役より解放され、自由を得た喜びを分かち合うこの祭りの食卓に相応しい場所は都エルサレムにはないように思えました。ところが、「水がめを運んでいる見知らぬ男と出会うと、既に席が整った『二階の広間(アッパールーム)』が備えられる」との主の予告通り、十二人の弟子たちは主と共に食卓を囲むことが叶ったのです。注目すべきは、イスカリオテのユダが祭司長たちに主を引き渡すため、裏切ると知っておられたにもかかわらず、そのユダさえも食卓へ招かれた事実です。当時、共に食事をする行為は、招く相手を赦し和解する『しるし』でした。ですからサタンが入ったユダ(ルカ22:3)が裏切る(引き渡す)計画を主イエスは見抜きながら、最後の最後まで悔い改める機会を提供する食卓へと招かれたのです。「あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」との主の言葉に、弟子たちは心を痛め「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言ったと記されます。つまり弟子たち全てがユダと同じ危うさを覚えていたのです。ここには、イエスを主と信じ、キリスト者とされ、主の晩餐の食卓に招かれて食する私たちも同じ危うさを抱えている自覚が大切です。パウロが「相応しくないままで主のパンを食べ、飲むことがないように・・・(コリ一11:27)」と語った言葉に触れる時、「まさか私のことでは…」と自問自答し、主の食卓でその都度、新しく生まれ変わる恵みの座となるからです(コリ二5:17、7:10)。
ユダは主の十字架の赦しと復活の恵みに預かることは叶いませんでしたが、他の十一人の弟子達は、「多くの人の罪のために流されるわたしの血、契約の血である」と言われた主の言葉を想起する度、「それはわたしのためです。主よ…」と、常にあの日のことを思い出したに違いありません。初代教会を形成したあの弟子たちは日々新たに加わる人々と共に食卓を囲み、一つのパンを割きまた杯を回す度に、主の貴い犠牲と流された血潮によってその場に集う全てにも主の愛と赦しの御手が差し伸べられていると信じ行ったのです。ユダさえも食卓に招かれた主イエスの愛の偉大さをこの教会も語り継ぎ、主が貫かれた愛を感謝して、改めて「主の晩餐式」を喜びの中で大切に守り続けましょう。