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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2023.7.2 主日礼拝 実を結ぶ人生⑤「『呪い』ではなく『祝福』へ」友納靖史牧師【ガラテヤの信徒への手紙 3章1~14節】(新共同訳 新約P.345~346)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    ローマの信徒への手紙 12章14~15、19~21節  司式者
祈祷                             司式者
賛美    新生104番「雨を降り注ぎ」1.2.4節
献金感謝               
聖書    ガラテヤの信徒への手紙 3章1~14節
主の晩餐式 新生414番「マラナタ」  
宣教    実を結ぶ人生⑤「『呪い』ではなく『祝福』へ」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生521番「キリストには替えられません」1.3節
頌栄    新生673番「救い主 み子と」
祝祷
後奏
宣教概要
 驚くべき神の愛と恵みとがすべての人に注がれる、それが『祝福』です。旧約聖書冒頭で語られる天地創造において、神はあらゆる被造物、特に神のかたちに創造された人(男と女)を祝福しました(創1:28)。更に神はその業を終えて休まれた第七の日を祝福し聖別され(創2:2-3)、この世界は神の秩序と喜びに満ち溢れていたのです。ところが神の秩序と神との信頼関係を破壊する罪が入り、人を誘惑した蛇を神は呪われました(創3:14)。そして人類最初の殺人を犯したアダムとエバの息子カインに神は「あなたは呪われている」と語りかけます。聖書で「呪い」の言葉が用いられるのは、単に相手に対する絶望的裁きを宣言するのではなく、悔い改めへの招きであり、救いの希望が込められていました。確かにアダムとエバ、カインらは楽園から追放されますが、実はそこには神の慈しみが伴っていたことを忘れてはなりません(3:15,4:15)。
旧約で「祝福」が注がれる対象者は、信仰の人アブラハムに始まり(創12:1-3)、その息子イサクへ。更にヤコブ、そしてヨセフへと、長子か男子のみに限定され、何よりも、律法を厳密に遵守する模範的信仰者こそ神の祝福に預かると理解され続けたのです(例:申命30:16)。ところが新約になり主イエスは、何も持たない幼子を祝福[ギ:ユーロゲオー]し(マル10:16)、因果応報で呪われたとされる「悲しむ人」「迫害される人」などが実は祝福[ギ:マカリオス・幸い]されていると、当時とは真逆の信仰を主イエスが語られたのです (例:マタ5:3-12)。そしてパウロは、ユダヤ人に限らずすべての人々が祝福される原点こそ主イエスの十字架にあると宣言したのです。「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。 『木にかけられた者は皆呪われている<申命21:22>』と書いてあり・・・それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり…ました(ガラ3:13-14)」と。つまり主イエスは、アダム以来、すべての人が担い続けてきた罪の呪い(正しい行いをしないと呪われるとの信条)を十字架でその身に受けて下さり、ユダヤ人限定とされた神の祝福が、実は外国人を含むすべての人々に及ぶとの福音の喜びが告げられます。
 パウロは呪いのような言葉を発しました。「ああ、物分りの悪いガラテヤの人たち…目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか(3:1)」と。うめきに近いこの嘆きの言葉は、聞く者が悔い改め、立ち帰るきっかけになることを願う、実は祝福の言葉なのです。イエスの復活を信じられず、エルサレムを離れエマオへと向かう二人の弟子に主は現れ、「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことをすべて信じられない者たち(ルカ24:25)」と語られました。正にこの関りによって、弟子達の心の目は開かれ、再び主に仕える祝福の道を歩み続けた出来事と重なります。
 ジョン・バニヤン著「天路歴路」には主人公クリスチャンが人生の苦悩を負いながら天を目指す旅へと向かう物語が記されます。ある日、光を受けた十字架の陰が彼の上に落ちた時、担い続けていたすべての重荷が滑り落ち、墓穴に吸い込まれま、解放された喜びに満たされて旅を続ける場面は実に象徴的です。正にパウロはガラテヤの諸教会と私たちにも語りかけます。主イエスの十字架を仰ぎ見る時、神の祝福を受け、真理と自由を奪うこの世の呪縛から解き放たれ、その祝福を隣人に分かち合う祝福に満ちた人生へと変えられると。「…迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。…悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ロマ12:14,21)。主よ、約束された聖霊を、弱き私に日々注いでください(ガラ3:14)。アーメン。