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礼拝
澤田猛

常盤台バプテスト教会 2023.7.30 主日礼拝 「万事を益としてくださる神」澤田猛神学生(東京バプテスト神学校専攻科)【ヨハネによる福音書 9章1~7節】(新共同訳 新約P.148)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    ローマの信徒への手紙 8章28節  司式者
祈祷                     司式者
賛美    新生16番「み栄えあれ 愛の神」1~3節
献金感謝               
聖書    ヨハネによる福音書 9章1~7節
特別賛美  
宣教    「万事を益としてくださる神」澤田猛神学生(東京バプテスト神学校専攻科)
祈祷
賛美    新生566番「主に任せよ」1.2節
頌栄    新生673番「救い主 み子と」
祝祷
後奏
宣教概要
 東京バプテスト神学校の教会実習生として、6月より常盤台バプテスト教会の皆様にお世話になっております、横浜JOYバプテスト教会の澤田猛です。本日は、神学校週間を覚えて、礼拝での宣教のご奉仕をさせて頂けますことを主に感謝致します。
本日の聖書箇所は、生まれつきの盲人の癒しの出来事です。イエス様と弟子たちが通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた時に、弟子たちがイエス様に「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。」と質問するとイエス様は「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」と答えられました。イエス様は当時のユダヤ教の因果応報思想を否定され、更に、生まれつき目が見えないことの『原因』にではなく、『目的』に私たちの目を向けさせるのです。
そしてイエス様は地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目に塗って、「シロアムの池に行って洗いなさい。」と言われます。そこで、彼は素直に言われた通りにシロアムの池に行って目を洗うと、目が見えるようになって帰ってきたのです。奇蹟が起きました!
当時ユダヤ教の経典であるタルムードには、安息日に禁止されていた癒しの方法として「ぶどう酒を目に塗ること」「唾で泥を作り、それを目に塗ること」という規定がありましたが、イエス様は敢えてその規定に違反する方法を採用されました。それは、律法の表面的な部分にのみ縛られていたファリサイ派や律法学者たちの罪を、外面だけ繕っていた偽善者たちの罪を、真理が見えていないのに見えていると言い張る彼らの罪を、魂の救いよりも自分たちの利益を優先する罪を明らかにし、霊の目を開かせるためだったのです。
また、この盲人は、肉の目が見えるようになっただけではなく、その後、ファリサイ派の人々の前で「あの方が神のもとから来たのでなければ、何もおできにならなかったはずです。」と告白し、イエス様に対しても「主よ、信じます。」と信仰告白していることから、霊の目も開かれたことが分かります。ここにイエス様の『目的』があったのです。
最後に「苦難の意味」について一緒に考えてみたいと思います。私の妻は2012年6月に乳癌で天に召されました。2009年に癌の宣告をされた頃は「これは神さまからの宿題だ」と前向きに捉えていた彼女も、先の見えない不安と苦痛のなかで「何故神さまは自分にこんな苦難を与えられたのかが分からない」と必死で祈っていました。私も彼女に希望を与えることができず自身の無力さを思い知らされました。結局、妻の病は癒されることなく天に召されましたが、妻の闘病生活とその後の私自身の歩みの中で、神さまが深く関わってくださり多くの恵みを頂くことができました。そして、私たちにとって不幸なこと、嫌なこと、苦難をもプラスに変えて、『マイナスの賜物』として用いてくださる神さまの御業に心から感謝しています。私が神学校に入学し、昨年より専攻科で学ぶという献身の想いを与えてくれたのも、妻の熱い伝道の想いと苦難の体験が始まりでした。
最後に、私を励まし、希望を与えてくれた聖書のみ言葉を紹介します。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ8:28)「あなた方を襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実なお方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Ⅰコリント10:13)今週もおひとりおひとりが遣わされたところで、神さまから希望を頂いて歩むことができますようにお祈り致します。