礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2024.12.29 主日礼拝 「永遠に安らかな住まい」友納靖史牧師【イザヤ書 33章20~24節】(新共同訳 旧約P.1114)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 ヨハネの黙示録 21章1~4節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生171番「ダビデの村里」
献金感謝
聖書 イザヤ書 33章20~24節
特別賛美 「Agnus Dei」 有銘哲也
宣教 「永遠に安らかな住まい」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生176番「主は豊かであったのに」
頌栄 新生670番「主のみ名をほめまつれ
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「メメント・モリ 死を覚えよ」と、ベネディクト会修道士たちは日々互いに挨拶を交わし、自らの最後の時を見据え生活をしました。いつか自らの人生も最後の時が来ると知っていますが、どこまで緊張感を保って生きているでしょうか。預言者イザヤが「シャローム:平和・平安」を語ったその時代の人々には、「永遠のいのち」という概念はなく、「陰府」(死後、人間は地下に降る)という漠然とした考えにとどまっており、神の御子なる主イエスの到来で天にある希望の真理が開示されたのです。人生の終着点・ゴールを示された主の弟子達とキリスト者は、地上での福音宣教の使命を大胆に担い、日々の歩みに安らぎと希望が注がれたのです。
預言者イザヤが“旧約の使徒パウロ”と称される理由は、主イエスの教えをパウロが執筆した手紙で分かり易く解き明かしたように、イザヤも彼の時代から700年後に開示される福音を、知るはずのない当時の人々に先駆けて告知し、味見させる偉業を果たした人物だからでした。イザヤ39章まで繰り返し、神の“裁き(滅び)”と神にある“回復の希望(救い)”が交互に預言されます。これは私たち人間がいつの時代も双方の緊張関係の中、常に神の御前に謙虚に祈りバランス良く生きる秘訣とされています。
イブ礼拝の宣教でイザヤが救い主の ①誕生・②受難と復活・③聖霊降臨を預言したと分かち合いました。実はもう一つ、今日の箇所にはキリスト教の大切な教理“キリストの再臨”つまり世の終わりの時を想起させる預言があります。天にある永遠の住まい(都)エルサレムが地上に降り、神を信じる者らをそれまでの召された人々共に迎える場面(ヨハネ黙21:1-2)と重なるものです。イザヤが「祝祭の都エルサレムは安らか(平和)な住まい(33:20)」と語り、黙示録に預言される、今なおいつか分からない世の終わりの情景と共に、私たちが人生を終えた時、“永遠に安らかな命の始まり”の姿と正に重なります。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となり。神は自ら人と共にいて<インマヌエル>、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない(ヨハ黙21:3-4)」と。
またイザヤは「そこには多くの川、幅広い流れがある(イザ33:21)」と語り、「神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川…川の両岸には命の木があって…その木の葉は諸国の民の病を治す(黙22:1-2)」と、ヨハネの黙示と重なるだけでなく、創世記に冒頭の天地創造当初の姿(エデンの園)を回復する驚くべき希望と喜びが溢れています。こうして「神の国」(完全なるシャローム)が完成した姿が時代を超え、聖書随所に啓示されているのです。
私たちの人生、いつ終わりの時が来るのか、誰にも分かりません。いや、分からなくて良いと主イエスは語られました(マタ24:36)。なぜならイエスを救い主と信じ歩ませて頂く私たちは、地上のエルサレム奪回や、エルサレム神殿再建が使命ではありません。そうではなく何よりもイエスを主と信じて与えられる真のシャローム(いつまでも続く永遠の平和・平安)を全ての隣人と分かち合うこと。これこそが神の国の住人となる前に地上でも心がける務めだからです。神が共におられる永遠の都にいついかなることが起きても入らせて頂ける信仰の約束はあのアブラハムに始まりイザヤの時代、そして主イエスの時代から今に至るまで変わらず与えられていると証言されます。「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望しており、・・・だから神は彼らのために(永遠の)都を準備されていたのです(ヘブライ11:13-16)」と。
最終的に私たちが迎え入れられる永遠の住まいが、イエスを主と信じる信仰によって与えられている平安と安らぎ。これこそが人生の旅路を自らの使命を担い、恐れることなく歩ませて頂ける最大の幸いです。これからもこの恵みを家族・隣人と分かち合う旅路へと踏み出しましょう。シャローム(主の平和)があなたと共に!アーメン。