礼拝
伊藤 悟
常盤台バプテスト教会 2024.2.25 主日礼拝 「信仰の継承 ~よい知らせを伝える者の足は~」伊藤 悟 青山学院宗教部長【申命記 6章3~9節、ローマの信徒への手紙 10章14~21節】(新共同訳 旧約P.291 新約P.288~289)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 詩編 118篇22~25節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生1番「聖なる 聖なる 聖なるかな」
献金感謝
聖書 申命記 6章3~9節、ローマの信徒への手紙 10章14~21節
特別賛美 「行け 地の果てまで」
宣教 「信仰の継承 ~よい知らせを伝える者の足は~」伊藤 悟 青山学院宗教部長
祈祷
賛美 新生385番「すべての人に宣べ伝えよ」
頌栄 新生667番「聖なるかな 聖なるかな」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 信仰の継承、これは今日の教会が直面している深刻な課題です。教会離れ、宗教離れが加速度的に進んでいます。追い打ちをかけるように、「宗教二世」「二世信者」が社会問題化する現象が起きています。しかし信仰の継承は本来素晴らしいものであって、決して成長を阻むものではなく、神の大いなる恵み、喜びの出来事なのです。
ローマ10:14「信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。」私たちも誰かから聞いたのです。誰かが伝えて信仰を持つようになり、その信仰に生きるようになったのです。
教会、そして私たちの信仰は、私が美しくなるのではなく神が美しくなることを目指します。神を神として崇めることによって、人間がより人間らしくなり、私が私たちらしさを回復するからです。私の思い通りになるために信仰しているのではありません。主イエス御自身も十字架の死に至るまで神に従順であられました。その主イエスの福音が世代から世代へ、あなたから私へ、私からあなたへ伝えられているのです。
申命記6:4-6は「シェマー」と呼ばれ、信仰の継承の具体的な方法について聖書で最初に語られている箇所です。生活のすべてにおいて、神を大切にする環境を整え、そのなかで子どもたちを養育していくことで信仰の継承が起こることが告げられています。信仰の継承は極めて環境の問題です。どういう環境を次の世代のために整えていくとよいのでしょう。
主イエスの大宣教命令「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28:19)では、「行って」が大事です。いつしか教会に連れてくる集まることが目的になって、「行って」福音を宣べ伝えることを忘れてしまっています。教会は何をしようとしているのでしょう。教会に合わせる信者をつくり出そうとしているのでしょうか。それとも人々の状況や形態を見極めて人々が信仰を成長させていく教会へと教会が変化していくのでしょうか。『世代から世代へ』は、教会は人に変わることを要求するけれど、教会自身が変わってこなかったところに、信仰の継承ならぬ信仰の警鐘を鳴らしています。信仰と生活がバラバラになってしまった弊害について述べています。
その上で著者フォスターは、教会の中で信仰者が外に出て行くための訓練、また信仰を継承するための環境づくりとして、三つの提案をしています。
①世代を超えて礼拝や祝祭行事にあたること、
②世代を超えて食事を共にすること、
③世代を超えて地域への奉仕や伝道に出かけて
いくことです。
それは、神の民がどのように生きるのか、どのように振舞うのか、どのように祈り、どのように賛美を捧げるのか、それを経験する環境を整えていくことであって、世代を超えて共に信仰の証しをしあうことが重要だと指摘しています。子どもは大人の信仰的振舞いを見て信仰を成長させ、大人も子どもの純真さに触れながら信仰を成長させていきます。信仰を成長させる環境づくりこそがキリストの体を作り上げ、「行って」福音を宣べ伝えるエネルギーとなっていきます。
教会は、教会だからこそ世代やカテゴリーを越えてもよいのでしょう。効率が悪いかもしれません。しかし多様な人たちに向き合うことを学びます。神の民は、世代を超えて互いに依存関係にあるのです。一人一人が用いられ、互いに依存しあい、生きた信仰が形成されるとき、教会はいよいよ「キリストの体」として体全体が成長を遂げ、神の恵みの次世代へのバトンタッチを可能にしていくのです。