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礼拝
森 崇

常盤台バプテスト教会 2024.4.14 主日礼拝 あなたが存在する理由④「命懸けの友がいたから」森 崇牧師【ヨハネによる福音書 15章11~17節】(新共同訳 新約P.199)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    エフェソの信徒への手紙 3章16~19節    司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生24番「歌え 歌え キリストの愛を」
献金感謝              
聖書    ヨハネによる福音書 15章11~17節
特別賛美   ”天使のかてを” M&M's
宣教    あなたが存在する理由④「命懸けの友がいたから」 森 崇牧師
祈祷
賛美    新生498番「イエスに勝る友」
頌栄    新生668番「みさかえあれ(A)」
祝祷
後奏
宣教概要
主なる神さまはイエス・キリストを通して私たちの親友になりたいと願っておられます。神さまは私たちとの深い友情関係を求めておられます。

聖書では友のことを次のように語っています。友とはすぐに助けてくれる人のこと(箴言3;28)、友を愛することで苦しみの時のきょうだいの絆が生まれること(17;17)、友人を大切にすることで災いの日に助け合える関係性が生まれること(27;10)、友人関係によって心の練達を得る(27;17)ことです。良い友がいれば、当然悪い友もいます。かつて義人ヨブは自身に災害と人災と大病が襲ったとき、三人の友人たちはヨブを自分の罪のせいだと責め立てましたが、ヨブは「絶望している者にこそ友は忠実であるべきだ」(ヨブ記6;14)と言います。人間の友情関係には裏切ることもありますが、神が御子イエス・キリストを通して示されたことは、このイエスこそ、まことの慈しみ深き友です。

「慈しみ」とは特にヘブライ語(旧約)聖書に通底する神の愛であり、これを「ヘセド」と言います。「ヘセド」とは忠実な愛、人間がどのような状態になったとしても、ご自分の契約と約束を守り、どこまでも誠実に尽くす愛のことです。慈しみ深き主とはそのように私たちへの愛を変わらない忠誠を持って尽くしてくださるお方です。このお方は私たちの人生がいかに罪や愚かさに満ちていたとしても、私たちの友となられます。この友なるイエスは第一に私たちのために自分の命を捨てることがおできになります。十字架にかかるまでもわたしたちのことを徹底的に愛される方です。十字架に命を懸けられ、復活されて共に生きておられるイエスを受け入れた時、このイエスの愛に倣い、イエスの愛に生きることで、私たちは主イエスの友となります。私たちは主イエスから「友」と呼ばれています。

この「友」とは聖書のギリシア語では「フィロス」、元々は「友愛」(フィリア)からきています。教会では友愛部がありますが、この友愛は主イエスの献身的な愛を表しつつ、教会の兄弟姉妹たちの交流を強め、また祈りの輪を強めます。この「友」は他には「(徴税人や罪びとの)仲間」(マタイ11;19、ルカ7;34) 、「(花婿の)介添人」(ヨハネ3;29)などとも訳されます。イエスは周辺社会から疎外された人々の仲間となり、その生き方を貫いて十字架刑に処されました。またこのイエスの友愛は、神と共に歩む人々の介添人、つまり証人(世話役)となって神と共に歩む人々の信仰を励まし、執り成して下さいます。

『人生を導く五つの目的』11日目では神と親友になることはディボーション(聖書日課と祈り)だけではなく日々すべての活動の中で神とコミュニケーションをとることだと伝えています。私たちの活動に対する態度を変えて行うこと、また短い祈りや生活の中で聖書の御言葉を繰り返すことで深まるのだと伝えます。語ることを通して神との友情を深めつつ、また神の言葉を静まって聞くことにより双方向の交流として深まります。継続的に黙想することを通して神の御言葉を聞き、深めることが必要だと伝えています。わたしはこれら二つに加えて、生活の中で実践し、適用する(決断し、実行する)ことも大切な事だと捉えています。

 キリスト教のプロテスタントの一派であるアーミッシュは近年、村での銃乱射事件が起き、少女五人の命が失われた時、その家族が「加害者とその家族を赦します」とすぐに宣言したことで大きな話題となりました(『アーミッシュの赦し』亜紀書房2008)。この人々は近代文明をできる限り退けることで知られていますが、それは単なる「~してはならない」という戒律によるのではありません。このアーミッシュの信仰共同体は、自発的な信仰告白によってアーミッシュとなります。幼児洗礼の否定などバプテストの信仰とも多くの共通点がありますが、教会と家族を大切にするという点では非常に硬い結束力があります。様々な文明の利点ですら、信仰共同体と家族関係、また質素な祈りの生活を追い求める姿は、まさに「世の友」ではなく「神の友」であり続けるという生き方です(ヤコブ2;23,4;4)。私たちの生活においても「神の友」として生きる決断をしたとき、何を第一とし、何を選び取っていくのでしょうか。