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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2024.4.7 主日礼拝 あなたが存在する理由③「礼拝:降伏は幸福」友納靖史牧師【ローマの信徒への手紙 6章12~14節】(新共同訳 新約P.281)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    ローマの信徒への手紙 12章1~2節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生59番「父の神よ 汝がまこと」1.2.3節
献金感謝
主の晩餐式 新生414番「マラナタ」
聖書    ローマの信徒への手紙 6章12~14節
宣教    あなたが存在する理由③「礼拝:降伏は幸福」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生628番「われは主にみな捧ぐ」1.2.4節
頌栄    新生668番「みさかえあれ(A)」
祝祷
後奏
宣教概要
 「あなた自身を神に差し出しなさい。…正しい目的のために用いていただくために、自分のすべてを神に明け渡し<降伏し>なさい」(ローマ6:13/TEV邦訳)。 テキスト10日目の冒頭に「礼拝の本質は降伏にあります」と記されます。降伏する(Surrender:明け渡す・放棄する/Give Upギブアップする)とは、神の前に自らの力では戦わないと宣言することだとパウロは語りました。これは礼拝の中心の一つ「献げ物をする」ことも、即ち降伏するのと同じ行為だと彼は語ります。『献げもの』とは、献金という金銭的な献げ物だけではなく、自らが持てる命<実は神に与えられた命>、時間、才能や賜物などが自分の物ではなく、実はすべてが神の所有物を与えて頂いている。この自覚を持つ<わきまえる>時、初めて神の前に明け渡す意味が理解できるとパウロは語ります。
神の前に降伏する。つまり「私の持てるすべては主よ、あなたの物です」と宣言し、偉大な神の力に委ねると神が働き始め、私たちにとっての幸せ、即ち降伏が幸福になると聖書は語ります。例えば、アブラハムが息子イサクを捧げよと主に命じられた時、アブラハムは従いました。その時、アブラハムが想像していなかった祝福が主に備えられていたことを経験していきました(創22:1-18)。またシモン(弟子となる前のペトロ)が漁師としての経験やプライドを放棄し、主イエスの言葉に従ったとき、驚くべき大漁を経験し主に弟子として召命を受ける恵みとされたように(ルカ5:1-11)。
ローマ6章1-11節で、水のバプテスマを受けたキリスト者は、罪ある身体が死に(滅ぼされ)、復活されたキリスト・イエスの身体に結ばれ、復活の身体<永遠の命に生きる者>とされたとパウロは語ります。そして、水に浸かるバプテスマを受け新たな復活の命を受ける恵みに与ったあなた方だから、自らの身体を神の喜ばれない罪に再び汚れることに用いず、神の清く尊い働きと使命のために献けるに違いないと、祈りのような信仰の呼びかけがこう続きます。「なぜなら、罪は、もはや、あなたがたを支配することはない(6:14)」と。自分の努力や力で生きる人生ではなく、主イエスの良い幹(神の恵み)に、即ち新しい命に生かされる<ギ:接ぎ木された(6:4)>私たちだから…と。
人生における自らの計画や願いを主なる神に明け渡す<降伏/ギプアップする>ことを求められた時、経験したことのない神の恵みに与ることを信じ委ねる信仰を持つことは実に難しく思えます。
去る主日、K姉を送る会(礼拝と感謝の会)で、姉が今年弾けるようになりたいと願っていたベートーベンのピアノソナタ8番「悲愴」第二楽章と、奇しくも共に奏楽曲で合わさっていた賛美歌「主イエスに、すべてを降伏し(委ね)ます:All to Jesus, I surrender」(新生628)が演奏されました。この賛美は正に愛の人K姉の生涯と信仰にピッタリ重なるもので、悲しみの中にも、神が生きて働かれる慰めと希望に満たされる主イエスの復活の日とされました。
正直、先に何が起きるか分からないことばかりかりです。しかし主なる神は私たちを最善へと導かれるお方です。新しい年度を迎えるにあたり、課題多き日本と世界においても、この地に御国と平和が実現することを信じ祈ります。全てを司られる主なる神が、この教会に集うそれぞれの大切な「五体を義のための道具として神に献げ(6:14)」る清き交わりと奉仕が深められますように。又私たち一人ひとりが神と人との前に打ち砕かれた霊と悔いる心を持ち続けるため(詩51:19)、御言葉と賛美に満ち溢れた礼拝を主日、そして日毎にお献げできますように。
            アーメン。