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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2024.7.14 主日礼拝 人生を導く善き力20週目 神の家族⑥「覆水盆に返る信仰」友納靖史牧師【コリントの信徒への手紙 二 5章16~21節】(新共同訳 新約P.331)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    ミカ書 7章18~19節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生123番「果てなき大空」
献金感謝
主の晩餐式 「ひとつの聖霊」
聖書    コリントの信徒への手紙 二 5章16~21節    
宣教    人生を導く善き力20週目 神の家族⑥「覆水盆の返る信仰」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生634番「キリストの愛われに迫れり」1.2節
頌栄    新生669番「みさかえあれ(B)]
祝祷
後奏
宣教概要
 有名な諺「覆水盆に返らず」(英:There is no use crying over sprit milk.)。これは離婚し出て行った妻が、別れた夫の昇進を知り復縁を迫った時、その夫が元妻の前で器に注がれた水を大地に注ぎ、「これを戻せたら復縁しよう」と語った中国の故事に基づきます。「後悔先に立たず」と同様、一度壊れた関係の修復や失敗は取り返せない「当然の結果」とみなされるものです。しかしパウロはこう語りました。「神は、キリストによって私たちとの関係を回復してくださいました。そして、人間関係を回復させる働きを私たちに与えてくださったのです(コリ二5:18)GWT訳」と。これはコリント教会(使18:1-17)へ宛てた手紙の二通目の中に記されたものです。実はこの地に一年半滞在し、生み出されたこの教会からパウロが次の宣教地へと向かうと、異なる信仰が入り込み混乱した教会の窮状を聞きつけ心痛め、悔い改めを促した第一の手紙を送りました。幸いその手紙を通して健全な教会へと回復しつつありましたが、一部だけなおもパウロの使徒職を認めない人々がいました。けれどもパウロは目前の現実に失望せず、キリストが十字架の死から復活に至った神の偉大な力に目を注ぎ、崩れた関係が修復される希望と信仰を強く抱くパウロの信仰から紡ぎだされたのが18節の言葉です。19節以下には、父なる神がキリストをこの世(私たち)に遣わされて、罪の責任を問わず、神ご自身が忍耐強く私たちを愛し赦され、崩れた関係をキリストの犠牲(十字架)によって回復(和解)してくださったと宣言します。そして何よりもこの驚くべき恵み(聖き神との交わりの回復=和解)に与った私たちを神はこの課題多き世に遣わし用いる大切な目的を知ったパウロ。だから彼は、教会内にいかなる課題や困難が横たわっていても、あきらめることなく問題解決のために祈り関わる信仰が与えられていたのです(コリ二5:19-21)。
ケン・シゲマツ先生を私にご紹介くださったY牧師との出会いは実に不思議なことがきっかけでした。夫による度重なる暴力により離婚手続きを進めていたある方と子ども達が前任地の教会に通うようになりました。Y牧師はその家族を良く知っておられ、その女性がバプテスマを受けられた後、遠方より教会を訪ねてくださいました。離婚調停手続きは着々と進んでおり、過去起きた状況や法的社会的にも離婚やむなしとされる状況下にありました。多くの痛みを抱える本人達の前で、復縁を考えては…と決して言えない状況でしたが、その牧師と私の共通の祈りは多くの課題が解消し過去の苦痛が癒され、再び関係が主によって修復されることで、事情を知る方々も双方の教会で執り成しの祈りが続けられました。それから数年後、覆水が盆に返ったのです!確かにキリスト者はこの世の価値観や人々の苦悩に無頓着でいてはなりません。しかし私たちは、単に世の価値観にのみ倣い、人の痛みに寄り添うだけに終わらず、神の御心を探り、不可能と思えることでも御心に従う者とされることを、パウロは多くの手紙で指し示しました。
 「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠のいのちなのです(ロマ6:23)」とパウロは宣言します。人類にとって決して覆らない最大な悲劇と定めであった死を、父なる神はキリストの十字架の死からの復活によって、信じる者にはその定めが覆る驚くべき賜物と恵みを与えて下さいました。パウロは地上における人間関係の課題を解決する努力も惜しみませんでしたが、何よりも全てのことをご存じである父なる神との永遠に続く関係性を私たち自身がキリストによって与えられている喜びと平安に目を注ぎつつ過ごし、その生涯を全うしたのです。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた(二5:17)」とパウロは語り、変えられない過去に縛られることなく、主なる神によって「覆水盆に返る復活信仰がある」ことを信じ、希望と平安の内に歩ませて頂きましょう。