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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2024.8.4 主日礼拝 人生を導く善き力23週目 キリストに似る②「平和を造る成熟した品性・霊性」友納靖史牧師【エフェソの信徒への手紙 4章13~16節】(新共同訳 新約P.356)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    詩編34篇2,12-15   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生8番「主の呼びかけに」1.3.4節
献金感謝
主の晩餐式 「マラナタ」
特別賛美  ”ガリラヤの風”     Weser Trio
聖書    エフェソの信徒への手紙 4章13~16節
特別賛美  ”平和の祈り” 聖歌隊・ハレルヤリンガーず  
宣教    人生を導く善き力23週目 キリストに似る②「平和を造る成熟した品性・霊性」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生73番「善き力にわれ囲まれ」
頌栄    新生669番「みさかえあれ(B)]
祝祷
後奏
宣教概要
 「あなたがたは…滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け(なさい)・・・(エフ4:20-24)」。これは様々な違いを越えて一つの共同体となる困難さを覚えていたエフェソ教会に、パウロが手紙を送り、「成熟した人」「新しい人」として生きる秘訣を語った一文です。この手紙はノーベル文学賞受賞作家:大江健三郎氏の魂にも届いていました。著書“「新しい人」の方へ”の結びで彼は記します。「『新しい人』が敵意を滅ぼし、和解をもたらす、と――十字架にかかったイエス・キリストをモデルにして――考えたパウロの時代から、もう二千年もたって、なお私ら人類は、それをなしとげていない!… そこで私はもう一度…皆さんへ呼びかけます。敵意を滅ぼし、和解を達成する『新しい人』を目指してください。『新しい人』になるほかないのです。…十字架にかかって、生きかえった人は、この二千年でただひとりです。そしてこれからの新しい世界のための『新しい人』は、できるかぎり大勢でなくてはならいのです。P180-1」。イエスの十字架の意味を理解し復活信仰に立つこの文章はさながら彼(昨年88歳で生涯を終えた)の信仰告白のようです。
 使徒パウロは、世界や教会がいかなる課題を抱えていても、十字架で私たちのために命を捧げ復活された神の子イエスに対する信仰と知識において一つとなり、キリストの満ち溢れる豊かさに似る者として成長し、成熟した「新しい人」の誕生を信じ祈りました。その具体的な姿が4章冒頭で告げられます。「神の招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい(4:1-3)」。これは、傲慢で人を赦さず敵視し短気で癇癪を起す自らの今の姿を嘆くのでなく、その自分の“古い人”を脱ぎ捨て、キリストに倣い「新しい人」となる将来の姿を思い描く信仰。これが「品性」「霊性」に満たされた成熟した人だとパウロは教えます。
 先の戦争でマルチン・ニーメラー牧師はナチスの思想と暴力に、恐れず抵抗した「告白教会」の中心人物で、投獄され殉教した牧師の一人でこの大切な言葉を残しました。「ナチスが・・・共産主義者や社会主義者を攻撃した。私は不安だったが、そうではなかったので何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、攻撃された。私はそのたびに不安になった。が、やはり何もしなかった。そして遂に彼らは教会をも攻撃した。そこで私は立ち上がった。けれども、それでは遅すぎた」。この反省を踏まえ彼は「もし戦争を防ぎたければ、平和のために働かなければならい」と教会が社会全体における真実性・虚偽性を見抜く使命の重要性を訴えました。「平安の祈り」(R.ニーバー)のように違いを見抜く力を聖霊に求める信仰が「霊性・スピリチュアリティー」です。パウロはこの霊性を養う秘訣として「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。・・・霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい・・・(エフ5:15-20)」と勧めました。それは礼拝や日毎注がれる御言葉と賛美に満たされ、それぞれの品性と霊性が整えられ(脱皮?)、古い人からキリストに似る者(新しい人)とされるからです。その時、福音がその人、その家庭、教会、地域、日本そして世界へと拡大する幻をパウロは与えられていました。私たちも祈りましょう。
「人間の願望や権力に翻弄されることなく、 いかなる時も『キリストならどうされるだろうか』と冷静に祈り、真偽を見抜く聖霊の力を注がれ、恐れず『平和を実現する共同体』とされますように」と。