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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2024.9.1 主日礼拝 人生を導く善き力26週目 キリストに似る⑤「試練と誘惑を見分ける」友納靖史牧師【ヤコブの手紙 1章12~18節】(新共同訳 新約P.421~422)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    詩編 50章14~15節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生3番「あがめまつれ うるわしき主」1.2.4節
献金感謝
主の晩餐式 「ひとつの聖霊」1.2.3.5節
聖書    ヤコブの手紙 1章12~18節 
宣教    人生を導く善き力26週目 キリストに似る⑤「試練と誘惑を見分ける」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生614番「主よ 終わりまで」1.2.4節
頌栄    新生669番「みさかえあれ(B)]
祝祷
後奏
宣教概要
 宗教改革者マルチン・ルターは、救いは行いによってではなく、神の恵みによって与えられることを特に強調する必要のある16世紀において、ヤコブの手紙を「藁(わら)の書」と呼びました。けれども現代に生きる私たちは今、この書の執筆目的が既に救われ長く信仰生活をしながら何も行動しないキリスト者を叱咤激励することであったことを知るとき、健全な信仰生活に留まり続けるための神と私たちを結びつけるロープ、つまり「命綱の書」と呼んでも良いかもしれません。冒頭に、「試練を喜び」「あくまで忍耐せよ」と呼びかけられ(1:2-7)、今日の箇所で「試練を耐え忍ぶ人は幸い」と、主イエス『山上の垂訓』の“8つの幸い(八福)マタ5:3-10”に並ぶような口調で、主イエスの実の兄弟ヤコブは語りかけます。
 聖書における“試み:(ギ語:ペイラスモス)”は「試練」と「誘惑」に訳出され、その意味は状況で異なります。「試練」とは、神が私たちの信仰の成熟のために与えられる教育的な善き意味を持って与えられる人生の課題です。しかし「誘惑」は、悪魔(サタン)が私たち人間を神から引き離し、神が備えられた善き計画を実現させないために与える恐ろしい罠です。この二つの違いが分からず、私たちは特に苦難の中に置かれるときに戸惑います。そこでヤコブはその見分け方を、「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来る(ヤコ1:17)」こと、反対に誘惑については「人は自分の欲望に引かれ唆され誘惑に陥り、欲望がはらんで罪が生じ、罪が熟して死を生み出す(同1:14-15)」と、見抜く知恵を記します。
マルチン・ルターは「わたしは神学を一度に習得したのではありません。誘惑を受けた時、その意味を深く問い答えを探し続けることで会得した」と語ります。そして又、試み(試練も誘惑も共に)を恐れず生きる知恵として、「自分の頭上を鳥が飛び回るのを止めることはできずとも、自分の頭に巣を作らせないようにすることは可能だ」とも。だからこそ主イエスは『主の祈り』で「試み(誘惑)にあわせず悪よりお救いください」と祈れと教えます。主ご自身も公生涯に入る前、荒野にて悪魔からの誘惑を受けられました。幸い主イエスは神の御言葉(旧約)で悪魔の唆しに陥ることなく打ち勝ちました。しかし、誰もが悪魔の誘惑に抵抗できるとは限りません。だからこそ常に「主の祈り」を祈り、日々御言葉の真理を正しく理解する信仰が必要です。主イエスに似る者とされ、御言葉で闘う知恵と忍耐の信仰の成熟へと導かれる者には、悪魔の誘惑さえも、神より与えられる試練と同じように、課題を乗り越え、神の恵みと祝福の世界へ導かれるのも事実です(アブラハム・ヨセフなど)。使徒パウロはこのことを、「霊の人」とされ勝利の道を歩むことを勧め、反対に、ねたみや争いの絶えない「肉の人・ただの人」のまま生きると、悪の道へ陥る危険性を警告さしました(コリ一3:1-3/アカンやサムソン)。
近年、“GRIT:やり抜く力”はどこから生じるのかが教育界でも注目されています。それは人間の能力や努力によるのではなく、いかにその人が出会った方々(何よりも主なる神)から受容される経験を積み重ね、平安と希望に満ち溢れているかが重要だと語られます。これを聖書的に今日の箇所ととこうなります。「試練を耐え忍ぶ(人生の課題を見抜き、神を信頼し続ける)人は幸い。その人は聖霊の力に満たされ、悪ではなく善を行う力が養われるから」と。このように、主イエスにある信仰・希望・愛の交わり(コイノニア)の中に生きる共同体形成こそ教会の使命です。自らの力によってではなく、神の力に信頼し、永遠の命に至る人生を継続する幸いな人とされて参りましょう。