礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2024.9.15 主日礼拝 人生を導く善き力28週目 キリストに似る⑦「急がば回れ!」友納靖史牧師【フィリピの信徒への手紙 1章3~11節】(新共同訳 新約P.361)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 詩編147篇 10-11節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生86番「輝く日を仰ぐとき」
献金感謝
聖書 フィリピの信徒への手紙 1章3~11節
特別賛美 第一礼拝 「Still」友納聖子
第二礼拝 「Shine on us」HOPPY
宣教 人生を導く善き力28週目 キリストに似る⑦「急がば回れ!」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 教会福音讃美歌359番「私の望みは主イェスだけにある」
頌栄 新生33番「輝け主の栄光」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく、人の足の速さを望まれるのでもない。主が望まれるのは主を畏れる人。主の慈しみを待ち望む人(詩147:10-11)」。この社会は往々にして俊敏さやスピードを重視しがちです。しかし主なる神は、私たちが神のご計画と神の時を信頼し、忍耐を持って生きる信仰(成熟した)者になることを願っておられます。「急がば回れ」<英語“Haste makes waste急ぐと無駄になる” >は、人の思いで事を急くと成るものも成らないと語る諺です。使徒パウロはその経験を今日の箇所で語ります。
この時パウロは福音を宣べ伝えただけの理由で投獄され不自由な生活を強いられていましたが、彼の内には平安と希望が満ち溢れていたのです。その理由は次の一文に滲み出ています。「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています(1:6)」。つまり、たとえどんなに時間がかかるいとしても神のご計画は必ず実現するので、急がなくて良いとの主への深い信頼が、彼の根底に泉のように脈々と流れ続けていました。特に「キリスト・イエスの日までに」とは、主イエスは地上では全き人間として歩まれましたが、世の終わりには、キリスト(油注がれた方:メシア)として再び現れ(再臨され)、神の国を完成される希望がここに告白されます。これはキリスト者に与えられた人生で神の計画とビジョンを完全に成し遂げられなくても、次なる世代に神の善き業が継承され、遂にはそれが実現すると、彼は信じていました。ここに信仰の成熟度を測るリトマス試験紙とも言える「あらゆる人知を超える神の平和(シャローム)フィリ4:7」をパウロが与えられていたことが分かります。出エジプトを神に命じられたモーセは「約束の地」を目指し、四十年も荒野を彷徨いますが、彼は神の約束を疑うことなく神を信頼して前進し続けます。そして遂に「約束の地」を目前にしながらも、彼はヨルダン川を渡ることは叶いませんでした。しかしモーセは祝福の言葉を残し、後継者ヨシュアに神の民を導き入れる役目を託して生涯を終えました。その時の心境が賛美歌にも込められています(申命33/34章)。「静けき祈りの時はいと楽し。聳ゆるピスガの山の高嶺より。故郷眺めて昇りゆく日まで。慰めを与え喜びを満たす」 (新生430)。
「遠回りさせられている?」と感じることがあっても後で振り返えると、実はそこには神の特別な計画と祝福が備えられていたことをキリスト者は往々にして体験します。その道を通されることで、以前にも増して神を畏れ、そして先を見通すことが出来ない限りある存在であることにきづかされます。だからパウロは祈りました。「知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように(フィ1:9-10)」と。
人生を振り返ると、それぞれに大きな分岐点があります。私には1999年に出会った一冊の書籍(Purpose Driven Church邦訳「健康な教会への鍵」)がその後の人生を支え続けています。「教会の目的」と、全ての者に神より「人生の目的」が与えられている福音の喜びは、今も変わらず宣教と教育に携わる力の源の一つとなっています。この教会が聖書に基づくコイノニア<教会の相互牧会:全人的な信仰の交わり)を次なる時代に形成できるかを模索中のこの時。かつてヤコブや神の民らに、行くべき道を神が指し示す時に現れた天使たちのように、今回米国からの宣教チームの方々が送られて来たように思えています。「見よ、わたしはなたちとと共にいる。…あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない(創28:10-22)」。
どんなに時間がかかっても恐れずに主が示される祝福の道を一歩一歩、共に歩み続けましょう。