礼拝
齋藤 篤
常盤台バプテスト教会 2024.9.29 主日礼拝 「私は知らなかった」齋藤 篤牧師(仙台宮城野教会)【創世記 28章10~22節】(新共同訳 旧約P.46)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏 「静けき祈りの」ホザンナベルクワイヤ(第二礼拝)
招詞 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生1番「聖なる 聖なる 聖なるかな」
献金感謝
聖書 創世記 28章10~22節
特別賛美 「神の作品として生きる」
宣教 「私は知らなかった」 齋藤 篤牧師(仙台宮城野教会)
祈祷
賛美 新生73番「善き力にわれ囲まれ」
頌栄 新生669番「みさかえあれ(B)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- こんなはずではなかったのに。
万事うまくいったと思っていたのに、彼に降りかかったのは「青天の霹靂」とも言える出来事でした。彼の名はヤコブ。のちにアブラハムから父イサクへ継承された家長を受け継ぎ、イスラエル国民の祖となった人物です。
彼は生まれる前から神に選ばれた者でした。それは幼い頃から母リベカを通して知らされていたのです。神はリベカに双子の兄に先んじて弟が、家の相続人となることを約束していました。兄のかかとをつかんで生まれた弟ヤコブに、母親は神による約束を告げ続けていたことでしょう。
だから、ヤコブもそのような自覚を持ちながら生きたのでした。空腹の兄に豆の煮物と引き換えに長子の権利を譲り渡されることに成功し、いよいよ父イサクが双子の兄エサウを祝福し、家の相続人としようとした際に、母リベカの策略に乗ってイサクをだますことに成功します。こうしてヤコブは、「神の約束通り」にすべてのものを手に入れたのでした。
しかし、その代償はあまりにも大きかったのです。最終的にだまされた兄エサウは、弟に憎悪の念を抱き、ついには殺意まで抱くようになります。そのことを案じた両親は、ヤコブにしばらくの間逃げることを勧めます。こうしてヤコブは数十年にわたって帰郷できない状態となってしまいました。
神の約束はどこに行ってしまったのだ。神が約束された通りに私は行動したのに、なぜこんな目に遭わなければならないのだ。ヤコブは横たわっていた石を枕にして野宿しなければなりませんでした。ここにヤコブの「大きな勘違い」があったことに、まだ気づかずにいたのでした。
神はヤコブへ、その勘違いを気づかせようとします。先行き見えない不安の渦中にあるヤコブに、神はひとつの幻を見せました。天からのはしごから天使が昇り降りしている光景です。この光景のなかで、神の声がヤコブの耳に届きます。その声は、彼が生まれる前から神が告げていたことと何ら変わりない約束の声だったのです。あなたとあなたの子孫に、この土地を相続させ、継承させるという約束です。
そして、神はヤコブに告げました。
見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。(15節)
ヤコブは目覚めました。そしてこう告げたのでした。
まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。(16節)
ヤコブは何を「知らなかった」のでしょうか。ただ単に、神が傍らにおられることに気付かなかっただけでしょうか。もちろんそのこともあるでしょう。しかし、それ以上にヤコブにとって大きな気づきが与えられました。神が与えられた約束を具体的に果たされるのは神御本人なのだということに、ヤコブはこれまでの勘違いとともに気づかされたのでした。
ヤコブはそれまで、神によって与えられた約束を「自分の工夫や努力」によって勝ち取ろうとしました。神の約束を錦の御旗にしつつ、結局、神をないがしろにしてその約束を手に入れようとしました。そのために策略を練ることも彼にとってはやぶさかではありませんでした。
しかし、ヤコブが、そして私たちが神からの祝福を受けとることができるのは、自己努力や修練の結果ではありません。神が告げられた約束が、約束の通りに神が果たしてくださった。ただそれだけの理由だからなのです。
ヤコブはそのことに気づきました。だからこそ「私は知らなかった」と告白できたのでした。そして、枕にしていた石を立てて祭壇を築き、神を礼拝したのです。ここから、神を中心としたヤコブの第二幕の人生が始まったのでした。