礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2025.11.23 主日礼拝 ヨハネ福音書講解㉓「世の光から『命の光』が」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 8章12~20節】(新共同訳 新約P.181)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 ヨブ記 33章27~30節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生548番「力強き主よ 導きたまえ」
主の祈り
献金感謝
聖書 ヨハネによる福音書 8章12~20節
特別賛美 ”われさえも愛したもう”
宣教 ヨハネ福音書講解㉓「世の光から『命の光』が」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 教会福音讃美歌458番「主の招く声が」1.2.4.5節
頌栄 新生668番「みさかえあれ(A)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「イエスは再び言われた。『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ』(ヨハ8:12)」。主イエスは課題と苦悩に満ちた世(世界:コスモス)においてご自分は「世の光」だと繰り返し宣言されました(9:5,12:46他)。ですから福音記者は冒頭で「言の内に命
があり、命は人間を照らす光であった」(1:4)と、この書の最重要テーマと真理を宣言します。生まれつき目の不自由な人の存在意味を主は「神の業がこの人に現れるためである」と教え、この世の誤った人生観に縛られた人々を闇から光に導き「わたしは世にいる間、世の光である」と語られました(9:1-5)。又、ラザロを死より蘇らせる時には「昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ」と、主ご自身が死から命<永遠のいのち>を与えるお方であると示されました(11:1-15)。更に、十字架への道を歩まれる生涯最後の(受難)週において、愛する弟子達を前に命じられます。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい」(12:35-36)。このように主ご自身が「光」であり、‟信じ受け入れた者は「光の子」とされた自覚を忘れるな“と語りかけられたのです。マタイでは同じように「あなたがたは『地の塩』・『世の光』です。・・・あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい(マタ5:13-16)」と呼びかけたと記します。主が何度も語られたのは、つい私たち人間がこの世の闇の力に引きずられ、大切な主の「(福音の)光」を掲げることを躊躇する弱さを主はご存知だったからです。
今日の箇所で主は「あなたたちは肉に従って裁くが、わたしは誰をも裁かない」と語られました(8:15)。これは姦通の現場で獲らえられた女性に、死をもって罪を償わせ、裁くことをイエスに迫った宗教家達のようになってはいけないと教えられたのです。女性と別れる際、主は「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と語られました。これは正に主イエスに従う時、地上の肉的な判断と行動で人々が傷つき苦しみ裁かれ人生が終わる絶望(死と闇)の世界に留まらず、「世の光」なる主イエスの教えに従うことを招かれたのです。そして何よりも、「世の光・光の子」とされた私たちは、この世(地上)で生きる希望の光を掲げる役割と共に、「命<永遠のいのち>の光」を掲げ、天へと続く永遠の世界へと導く使命が託された宣言でもありました。
二年に一度の大切な執事選挙:教会総会が行われます。初代教会では、使徒と呼ばれる主の弟子達が祈りと共に御言葉の光(福音の解明かし)を掲げ続ける奉仕に専心できるようにと、教会内の様々な苦情や課題の解決に携わる奉仕者7人を選び出しました(使6:1-7)。選ばれる条件は「‟霊”と知恵に満ちた評判の良い人」とあります。これは決して実力や経験を持つ人という意味ではありません。聖霊と知恵に満たされるとは、課題多きこの世において、その人に与えられたどんな小さな灯であっても、聖霊なる神の偉大な力を信じ、周りの方々へ与えられた信仰・希望・愛の光を恐れずに分かち合う知恵を神から注がれると信じる人のことです。その働きはキャンドル・サービスで会堂内に集まる人々の心と魂のローソクに火を灯す奉仕者のようです。
応答賛美「主の招く声が聞こえてくる…」とあるように、主が日毎に光を注がれ、私たちの内に潜む闇(罪)を消し去り、新しくされて生きる喜びを体験する恵みの中に導かれたことを感謝します。今それぞれに与えられている信仰の光を、自分だけが持ち続けることなく、希望の光が消えている方々の許へ、キリストの光を携え、この世(世界)へと共に遣わされて参りましょう。