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礼拝
森崇

常盤台バプテスト教会 2025.11.30 主日礼拝 「愛はこころに注がれる」森崇牧師【ヨハネの手紙 一 4章9~12節】(新共同訳 新約P.445)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                 
招詞    ヨハネによる福音書 3章16節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生205番「まぶねの中に」1.4節
      新生551番「愛するイエスは」1.5節
主の祈り
献金感謝
聖書    ヨハネによる福音書 1章1~5 節
賛美    教団87番B「めぐみの光は」1.3節
      こどもさんびか69番「かいばおけにすやすやと」
聖書    ヨハネの手紙 一 4章9~12節
特別賛美  第一礼拝 ”ベツレヘムの光” JoJ
      第二礼拝 ”みつかいくだる” ジョイフルクワイア
宣教    「愛はこころに注がれる」  森 崇牧師
祈祷
賛美    新生180番「イエスがこころに」
頌栄    教団108番「いざうたえ いざいわえ」1節
祝祷
後奏
宣教概要
 「神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私たちが生きるようになるためです。ここに、神の愛が私たちの内に現わされました」(以下引用は聖書協会共同訳)
アドベント(待降節)に入りました。今年のテーマは「愛」、テーマ聖句は第一ヨハネ4章9節です。御子イエス・キリストの降誕を待ち望むこの時、神の愛の実現のために祈っていきましょう。
ヨハネの手紙一4章7-10節は「愛の賛歌」と呼ばれます。この短い賛歌の中に「愛」は10回記され、銀杏の葉の黄色い絨毯のように敷き詰められています。「神は愛だからです」の愛はギリシア語でアガペーが用いられ、「神の愛」を意味します。それはすなわち、自己を顧みない献身的な愛、自分のいのちすら注ぎつくすことを惜しまない徹底的な愛です。
神の愛はその独り子を世に遣わしました。それは、「その方によって私たちが生きるようになるため」(9,別訳:「私たちにいのちを得させてくださった」新改2017)でした。「独り子」とはヨハネ福音書やヨハネの手紙にのみ用いられる神の子の名称です。「独り」とはそれが「唯一である/他に変わりはない」という特別な言葉であり、「神の唯一の子」という特別さを示します。9-10節はヨハネの手紙の信仰の確信です。聖書の中の聖書と呼ばれるヨハネ3章16-17節と対をなします。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」
ヨハネの手紙において、神の愛は「私たちの内に」示されると繰り返し告げます。私たちの内に示され、私たちの内にとどまり(口語訳「うちにいまし」)、私たちの内で全うされるのです(9,12)。神の愛は私たちを通してこの世に全うされます。そのために神の愛に留まり、神の愛を心の内に住まわせ、互いに神の愛に生きることで完全に実現されていきます。「信仰/希望/愛、この三つはいつまでも残る。この中でもっとも大いなるものは愛である」の聖句と同じように、「神の愛が私たちの内に示され、留まり、全うされる」この三つを深めていきましょう。
神の愛は私たちのどこに示されるのでしょうか。聖書は「神の愛は私たちの心に注がれる」と告げます。「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)神の愛が私たちの心に注がれるのであれば、私たちがなすべき生き方はこの神の愛を注いでいく生き方です。ナルドの香油の女が、その高価で尊い香油を十字架を前にした御子イエスに注いで埋葬の準備をしたように、神の愛を注ぐ生き方を深めていきましょう。
「三本の木」という絵本があります。立派に育った三本の木は、それぞれ宝箱/立派な船/神を指し示す雄大な大木になることを夢見ていました。やがて木こりが来て切り出され、宝箱になることを願った木は家畜の餌箱に、立派な船になることを願った木は生臭い小さな漁船に、雄大な大木になることを願った木は角材とされてしまいました。やがて自分のかつての夢さえ失った木たちに神の計画が及びます。家畜小屋に置かれた木箱はやがて生まれたばかりの神の子が置かれる光栄を得ました。漁船となった木は、荒れ狂う嵐の中、人々のいのちすら守れないと涙しましたが、「静まれ」と嵐を静める主イエスを乗せる船となりました。また角材となった木は、神の愛を顕すために遣わされた御子イエスによって担がれ、十字架の木となりました。この三本の木のように、イエス・キリストは私たちの人生に宿り、神の愛は私たちの人生に示されます。イエスによって示されたいのちをそれぞれに宿し、このいのちを全うして歩んでいきましょう。