礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2025.2.23 主日礼拝 人生を導く善き力 41週目 生かされる喜び⑥「神に造られた”最高の存在”」友納靖史牧師【創世記 1章31節、ヤコブの手紙 1章16~18節】(新共同訳 旧約P.2 新約P.421~422)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 詩編 100篇1b~3節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生125番「造られし者よ」
献金感謝
聖書 創世記 1章31節、ヤコブの手紙 1章16~18節
特別賛美 ”聖なる都”
宣教 人生を導く善き力 41週目 生かされる喜び⑥「神に造られた”最高の存在”」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 教会福音讃美歌359番「私の望みは主イエスにだけある」
頌栄 新生671番「ものみなたたえよ(A)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- いよいよ「旅の終わり」が近づきました。今シリーズ全体を一言に要約すると「あなたは神に命を与えられ、使命を与えられ、キリストにあって神のみ許へ帰る存在です」と言えます。この真理を信じて生きる時、私たちは喜びと平安が保たれます(参:ロマ11:36)。多くの人々は‟神に命を与えられた“までは同じです。しかし人生で自分に神より使命(ミッション)を与えられていると知り、キリストと出会って永遠の命に生きることは「狭き門」のようです(マタ7:13-14)。地上での旅路を終えるまでに、神の驚くべき人間に対する人生の目的を愛する隣人と共に知って新生することを熱く祈り、共に宣べ伝えて参りましょう。
この旅の終わりに選ばれ(原書は40日で後日2日分追加され)たテーマは「あなたは神の最高作品」です。しかしそうあることを阻止する悪の力が私たちの内側に生じる「欲望(特に‟ねたみ”)」だと警告されます。ヤコブ書で「光の源である御父(神)より、良い贈り物、完全な賜物」が与えられ、私たちは「神の初穂(最高傑作)である」と教えられます(1:16-18)。しかしその直前に「人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆され、誘惑に陥る」弱さを持ち「欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生む」(1:12-15)と警鐘を鳴らして、神が本来計画された人生の道より私たちが逸れることがないよう熱く語られます。一体何が私たちの本来の存在を台無しにするのでしょうか。
まず人間を創造された時「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」(創1:31)とある通り、人は神によって最高の存在でした。しかしアダムとエバが蛇(サタン)の誘惑により罪を犯し、その罪を認めず責任転嫁の罪を重ね、エデンの園より追放されます。それ以来、人間と義なる神との間には大きな溝が生じ、人は死ぬべき存在(ロマ7:24)となっていました。しかし神の御子なるキリスト・イエスを信じ結ばれる者(あなた)は「今や、罪に定められることなく、命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則から解放された」(ロマ8:1-2)存在とされたのです。この福音に触れ、神が備えられた本来の神の備えられた人生の道に引き戻された私たちは、神を礼拝し、各々の賜物を用い「霊に燃え、主に仕える」人生を喜び、使命に生きる者とされていきます(ロマ12:1-2,5-8,11他)。
ところが、信仰を告白しバプテスマを受け、キリスト者となってから、与えられた神の恵みと救いとは揺らぐことはありませんが、私たちの生き方(行動・品性)は不完全です。それをパウロはコリント教会員にこう書き送りました。「わたしはあなた方には霊の人に対するように語ることができません…お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりませんか…」(コリ一3:1-3)と。このようにキリストの尊い十字架の血の犠牲(贖い)により、罪赦され、本来の神の最高傑作とされ、永遠に至る人生の目的を示されていながら「肉の人」に留まることがないよう、主なる神に常に立ち帰り、聖霊の導かれて歩む「霊の人」として歩む大切さをパウロは彼の書簡随所に叫び続けます。「わたしたちは…霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑みあったり、ねたみ合ったりするのはやめましょう。…大切なのは、新しく創造されることです」(ガラ5:25,6:15)。
常盤台教会は今年75周年を迎え、人間年齢としては後期高齢者の域になります。しかし教会もキリスト者も、神に造られる恵みは命を与えられた誕生だけを指すのでなく、御言葉と聖霊なる神に導かれ日々、悔い改め(<ギリシャ語>メタノイア:方向転換し)、本来の道へと立ち帰るとき、 新しい(NewでなくFresh)な存在(初穂)とされ、神を讃える最高傑作であり続けることが約束されます。地上での使命を果たし、天の御国へ帰るその日まで、神に創造された最高の存在であることを感謝しつつ歩み続けましょう。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」
(コリ二5:17)。アーメン。