礼拝
森 崇
常盤台バプテスト教会 2025.3.2 主日礼拝 人生を導く善き力42週目 生かされる喜び⑦「人を恐れず、ひとつのみかみを」森 崇牧師【ガラテヤの信徒への手紙 1章10節】(新共同訳 新約P.342)
- 音声メッセージ
礼拝終了後、掲載いたします。通信料が心配な方は、こちらをお聞きください。
- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 コロサイの信徒への手紙 2章6~10節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生538番「神はわがやぐら」
献金感謝
主の晩餐式 新生414番「マラナタ」
聖書 ガラテヤの信徒への手紙 1章10節
宣教 人生を導く善き力42週目 生かされる喜び⑦「人を恐れず、ひとつのみかみを」 森 崇牧師
祈祷
賛美 新生76番「まことの神よ」
頌栄 新生672番「ものみなたたえよ」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- シリーズ「人生を導く善き力」が千秋楽を迎えました。本日のテーマは「誰を喜びとするのか」です。使徒パウロはキリスト者になる前には人の歓心を求めていました。パウロはかつて排他的、攻撃的、ユダヤ教に徹し律法主義的に生きてきました。しかし神はパウロを母の胎内にある時から選び/恵みよって召し出して、相応しい時に御子をパウロに示しました(1:16)。「御子をわたしに示し」とはパウロの内に(英語in me)啓示されたということです。「御子をわたしの内に啓示してくださった」(口語訳)即ち、今までは人々に気に入られようと生きてきたパウロの心の内に、確かに主イエスが住んだ瞬間、全ての価値観が変えられ、神の道へ心を向ける回心へと至りました(参照Ⅱコリ12:6-9)。
パウロはガラテヤ書の冒頭で、自分が誰の存在によっているのかを明らかにします。「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」(1:1)。このパウロは「イエス・キリストの啓示」(1:12)によりキリストの福音に生きるようになり、キリストの福音を宣べ伝えるものとされます。キリストの福音とは「神を愛する礼拝」「隣人を愛する奉仕」「福音を伝える伝道」「聖なる神の家族の交わり」「み言葉に聴き従う信仰の成熟(成長)」「存在を受け入れる休息」「父なる神との関係性を深める祈り」です。これらのキリストの福音をバランスよく行うことにより、神の国の広がりと繋がりが豊かにされます。
この使命に生きる時、妨げとなるものは「人々からどう思われるか」という「関心」と「歓心(誰に喜ばれたいか)」です。神に聞き従うよりも人に聞き従っていくことにより多くの罪と過ちが生じました。しかし大切な事は、誰がその心の内側に住み、誰に喜ばれたいか、です。パウロは自分の心の動機を自分に問うています。「今わたしは人に取り入ろうとしているのか/人の気に入ろうとしてあくせくしているのか」(10)人に喜ばれる存在になりたいという願いはすべてが悪い感情ではありませんが、人の評価を気にするあまり、神に従う人生よりも人に流されてしまう人生への憂いを伝えます。パウロは「今なお人の気に入ろうとしているのならキリストの僕ではない」と言いましたが、「今なお」とはかつてはそうであったことと、「しかしまだそのように生きているなら」ということを示唆しています。
パウロにとって重要な事は、キリストが自分に内在していることでした。パウロは高らかにこう宣言しました。「キリストがわたしの内に生きておられる!!」(2:20)このキリストとは十字架につけられたままのキリストでした。「目の前にイエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきりと示された」(3:2)パウロにとって復活者であり、今も生きておられるイエスとは十字架につけられたままのキリストであり、自分のいのちすら惜しまずに十字架に至るまで与え続けたこのイエスが自分の内に示され、この方がいまもなおわたしの内に生きておられる、と告げています。そしてこの御子の啓示は「神は人を分け隔てなさらない」(2:6)ように、今、生きておられるイエスがわたしの内に啓示されているのです。
今週の宣教題は「人を恐れず、ひとつのみかみを」です。この題には二つの意味を込めました。一つは「人を恐れず、ひとつのみ、神を」と「人を恐れず、ひとつの御神を」です。「だれも…神と富とに兼ね仕えることはできない」(マタ6:24口語訳)と主イエスは言われました。私たちの心の内側を占めているものは何でしょうか。ひとつの御神は「すべてにめぐみを与えたもう創り主」「尽きることのない慈しみを与えたもう主イエス」「ご自分を聖霊として人の心の内側に贈り給う聖霊なる神」、この方が三つにいましてひとつの神です。私たちはこの方の満ち満ちておられるめぐみを自分の人生の中心に据え、御心とみ旨に聞き従いつつ、ひとりのみ、神を讃える常盤台バプテスト教会でありたいと願っています。あなたの内側にはすでに笑顔の主イエスがおられます。アーメン。