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礼拝
森 崇

常盤台バプテスト教会 2025.3.23 主日礼拝 「世代を超え、聖書は新たに」森 崇牧師【テサロニケの信徒への手紙 一 5章26~28節】(新共同訳 新約P.379)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後、掲載いたします。通信料が心配な方は、こちらをお聞きください。

礼拝プログラム
前奏                
招詞    ヨシュア記 1章8~9節    司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生575番「栄えのみ神よ」
献金感謝      
聖書    テサロニケの信徒への手紙 一 5章26~28節
特別賛美  新生213番「われらに伝えよ」
宣教    「世代を超え、聖書は新たに」 森 崇牧師
祈祷
賛美    新生584番「主なる神よ み言葉にみたされ」
頌栄    新生672番「ものみなたたえよ」
祝祷
後奏
宣教概要
 春を感じる季節となりました。畑では固まった土を掘り返して空気を入れ、やわらかい土にして種を植えています。そのように聖書を読むことは心を耕し、神の御言葉という種を受け入れることです。踏み固められた土では命を育むことは出来ませんが、ただ耕した心だけがこれを育むことができます。初めの人アダムはエデンの園を「耕す」ために創造されました(創2:5)。「耕す」とは「仕える」ことです。全ての人は神と人に、それぞれの使命に仕えるために心を耕します。主イエスは神の国を野菜に例えられました。そして「種を蒔く人」は「神の言葉を蒔く」こと、またその蒔いた種は「成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」(マコ4章)と言われました。
 今年常盤台バプテスト教会は創立75周年を迎えています。この記念として聖書 聖書協会共同訳(2017)を用いて聖書の朗読をします。この新しい聖書は礼拝で朗読されるために整った日本語で訳されました。本日の聖書個所においても使徒パウロは「わたしは主によって命じます。この手紙をすべてのきょうだいたちに読み聞かせなさい」(新共同訳で朗読)と語っています。テサロニケの信徒への手紙一は新約聖書中で最も早くに書かれました。当時 律法や預言書、詩編などが礼拝の場で読まれ用いられてきました。聖書は「読んで聞かせる/朗読する」ために存在します。主イエスの時代、聖書はヘブライ語聖書(旧約)でした。み言葉の成就であり、全き救いの完成としてのイエス・キリストがこの世に与えられた時から、この物語は新約聖書として語られ、書かれ、紡がれてきました。これを読んで語り聞かせることを聖書は私たちに求めています。
 聖書を語り聞かせるために翻訳が必要です。ヘブライ語やギリシア語で朗読しても誰が意味を知り得ることができるでしょうか。日本人に救いを、福音の喜びを伝えるために、聖書は翻訳されてきました。旧約聖書続編のシラ書〔集会の書〕の冒頭には翻訳の妙を伝えます。「素直な心でこの書物を精読してほしい。我々は懸命に努力したのであるが、上手に翻訳されていない語句もあると思われるので、そのような箇所についてはどうかお許し願いたい。というのは元来ヘブライ語で書かれているものを他の言語に翻訳すると、それは同じ意味合いを持たなくなってしまうからである」(16-22)。
 日本聖書協会の発行としては文語訳(1887年)、口語訳(1955年)、新共同訳(1987年)、聖書協会共同訳があります。其々に訳の良さがありますが、ひとつとして完全な翻訳はありません。しかし各世代に聖書を伝えるために訳は常に新しくなります。今が新しい世代、教会創立100周年に向けた世代です。次に繋げるために新しい聖書は出来、またこれを用いて心を耕します。
初めて聖書を日本語に訳するために宣教師(ヘボンやブラウンなど)は中国語の聖書を学び、多大な努力と情熱により日本語に訳しました。そうして編まれたものが文語訳です。文語訳は漢文の漢字を活かし、知識階級の人たちに届くよう意図されました。しかし一般市民にも受け入れられるよう訳し努力した宣教師たちもいました。バーナード・ジャン・ベッテルハイムは禁教下の日本宣教を志し、沖縄で医者として仕える中、ルカ福音書を琉球語に訳しました。その後、彼はマタイ/マルコ福音書を日本語に訳します。このマタイ福音書の冒頭において彼は「新約全書」と書き入れ、ルビを「アラタヤクソクノマッタキショモツ」としました。彼はイエス誕生を「イマダ婚セズシテ聖神(セイシン)ニ感ジテハラグム」としました。「聖霊」を「聖神」とし、また「神」を「カミ」と訳しています。聖書の神とは八百万の神様ではなく、今生きておられる方として「カミ」と顕わしました。常盤台教会では「神様」を「神さま」と表現することを大切にしています。それは一般で使われる神とは一線を画す表現として。聖書の翻訳は、この世代に伝わるように、子々孫々に至るまで常に新しくされます。柔らかな心を持ちつつ、神のみ言葉に耕され、常に新しく、神のみ言葉を蒔いて共に歩みましょう。(本日の引用聖書は聖書協会共同訳を用いています)