礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2026.10.18 主日礼拝 ヨハネ福音書講解(58)「最後に残るもの、それは愛」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 21章20~25節】(新共同訳 新約P.212)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 コリントの信徒への手紙 一 13章4~8,13節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生607番「深き主の愛は」
主の祈り
献金感謝
聖書 ヨハネによる福音書 21章20~25節
宣教 ヨハネ福音書講解(58)「最後に残るもの、それは愛」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生458番「いさおなきわれを」
頌栄 新生673番「救い主 み子と」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- ヨハネ福音書の壮大で深い福音の真理を58回に亘って講解説教をさせていただき、いよいよ最終回。ヨハネはこの書の最後に記しました。「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれない」と。ここからはヨハネがまだ語り書き残したいとの思いが伝わってきます。20章で一度筆を置いたように思えたこの書でしたが、この最後の記事を加えて、どうしても、これだけは後世に語り継ぐべきものとしてヨハネは記したようです。ここにも聖霊の導きがあったと覚える箇所です(テモテ二3:16)。この最後の最後として記された御言葉から伝わってくる3つの大切なメッセージがあります。
第一に、「あなた方も主イエスに愛されている」です。ヨハネはこの書で自分自身を三人称で記し、「イエスの愛しておられた弟子」と表現しています(21:21ほか)。それは自分だけが特別な存在だったことを誇るためではなく、主イエスに愛された者の一人であった喜びと感謝を溢れるばかりに伝えようとしたのです。主を三度否認し、自分は落第者だとふさぎ込み、主から距離を置こうとした特にペトロ(21章前半)も同じように主に愛されていた事実を、何としても伝えたかったのです。何よりもヨハネもペトロも主にそれぞれが愛された出来事を通し、「あなたも愛されている」と。
第二に、「人と自分とを比較せず、主イエスとの関係だけに目を注ごう」とのメッセージです。主が捕らえられた時、ペトロは主を置いて逃げ去りました。一方で主が十字架につけられ苦悩された時、ヨハネはその場に立ち会い、主から母マリアの世話を託されたのです(19:26-27)。ペトロはきっとそのヨハネに対し、劣等感など複雑な意識を抱えていたのでしょう。ですからペトロは「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と自分の死に触れた主イエスに(21:18)、ヨハネの死に方について尋ねました。すると主は「あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい」と言われたのです(21:21-22)。私たちも、自分と他者と比べる弱さから解放され、ただ主イエスに目を注ぎ歩む信仰生活が続けられるように祈り願います。
そして第三のメッセージは、「わたしに従ってきなさい」(21:19,22)という主イエスの招きです。人生には様々な課題や困難があり、すぐには主の招きに従えない私たちです。しかし主は、「恐れず、わたしを信じ、従いなさい」とあのペトロに赦しと愛を注がれたように(21:15-17)、繰り返し招かれます。
ペトロの晩年については、後世の伝承をノーベル文学賞作家チェンキェヴィッチは小説「クォ・ヴァディス」に著しました。ローマ帝国によるキリスト者への迫害は激しく、競技場でライオンの餌食にされた時代。信者らはペトロを逃がし、彼はアッピア街道を下っていました。その途中で主イエスとすれ違います。ペトロは「クォ・ヴァディス・ドミネ」〈ラテン語:主よ、どこへ行かれるのですか」(ヨハ13:36) 〉と尋ねます。すると主は「汝、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて今一度十字架にかからん」と言われました。そこでペトロはローマへ戻り、苦悩の中にある信徒たちを励まし、最後には殉教の道を選び取ったと伝えられます。
主が弟子たちの足を洗われた時、ヨハネはこう記しました。「イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(13:1)。私たちにも地上で与えられた日々を、最後の時に至るまで、どのように主の招きに応えて歩むことができるでしょうか。主のみ声に聴き従えますように祈ります。「あなたは、わたしに従いなさい」。