礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2026.3.22 卒園・卒業感謝礼拝 「身に着けたい人生の武具」友納靖史牧師【ペトロの手紙 一 5章6~11節】(新共同訳 新約P.434)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 エフェソの信徒への手紙 6章10~13節 司式者
祈祷 司式者
賛美 教団讃美歌第2編 189番「丘の上の教会へ」
主の祈り
献金感謝
聖書 ペトロの手紙 一 5章6~11節
特別賛美 ”神さまの樹になりたい” 聖歌隊(第一礼拝:ジョイフル&グレースアンサンブル)
宣教 「身に着けたい人生の武具」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 神さまの樹になりたい
頌栄 新生33番「輝け主の栄光」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 自己の存在を無価値なものと思わされるような苦悩や課題を周囲の人から背負わされ時、皆さんはどのように対処しておられますか。「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる」(詩編55:23)のみ言葉と、今日7節のみ言葉は同じメッセージが語られています。ヘブライ語で「ゆだねる」はガラル‟転がす・預ける・委ねる”という意味があり、7節のギリシャ語:エプリピトー‟投げかける・かける・任せる・委ねる”と同じ意味です。聖書は一貫して、私たちに語りかけます。負わされた必要のない重荷・課題は自分で抱え続けることなく、私たちを愛し命を与えられた神に委ね、投げつけ、転がしなさい…と。それも、今日の箇所でペトロは、‟少しとか、一部でなく「何もかも・ありとあらゆる全て」を神に任せて良い”と語りかけます。
なぜなら、品性を高めることを目的とした試練や苦難は神から来ます。しかし残念ながら、単に私たちを苦しめることを目的として負わせられる悪意ある重荷を背負い続ける必要はないと、ペトロは教えるのです。彼はそれを「あなたの敵対者である悪魔(悪口を言う者・偽りの告訴者)」と呼び、それを「ほえたける獅子(アジアライオン)」のようだと表現しました。実はここに奥深い意味が秘められています。それは、獅子が獲物を狙う時はそっと音を立てず近寄って獲物を仕留めるものです。しかしこの吠え猛るライオンとは、「年老いて歯が抜け、獲物を自分ではしとめられず、大きな声で威嚇するしかない獅子の姿」との解説を聞き励まされました。つまり「恐れるに足らず」です。
ですからペトロは6節で「神の力強い御手の中で(守られているから、どんなことがあっても)、謙虚に振舞いなさい」とは彼自身の人生を振り返り語ります。「かの時」つまり、全てを知っておられ神の時に、その苦悩から神がその人を解き放ち、再び起き上がらせてくださる約束です。ペトロは十字架の福音を大胆に語ることで、多くの敵対者に憎まれ投獄されることがありました。しかし何度も不思議な神の力により牢から解き放たれる経験をし(使徒言行録12章)、後にこの手紙を書いたのです。
卒園卒業礼拝は次なる新たな世界へと皆さんが遣わされることを祝福する時です。残念ながらこの世は、悪魔(サタン:中傷し攻撃する者)の存在を否定できません。使徒パウロは「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」と語りかけ、具体的な武具として「真理・正義・平和の福音・信仰・救い・神の言葉」(エフェソ6:10-17)を身に着けなさいと勧めます。つまりそれらは目に見えない武具で、多くの危険をはらむこの世で生きるためには必要だと語るのです。幸い皆さんは、園や教会での礼拝を通し、神の言葉という武具を身に着けて守られ、祈る力が与えられています。特に「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(ペト一5:7)との‟霊の剣”を心と魂に装備して、負わされた重荷の紐を恐れず切り離し、神に投げつけ・転がし・委ねてください。そうすると間違いなく、主イエスにより尽きることのない平安と慰め希望とが皆さんの内に注がれます。主イエスのみ言葉は真実です。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタ11:28)。
今日の賛美歌でこう歌われます。「疲れた旅人ら憩い、小鳥たちは主を歌う。主のみ手が大きくゝ 世界中に伸びていくような 僕らは今 主に結ばれ 神さまの樹になりたい」。いや既に皆さんが主イエスを信じる時、神さまの樹の枝とされ世界へと広がり実を結ぶ力が備えられています(ヨハ15:5)。
恐れず、それぞれ神さまに導かれる場へと遣わされてください。