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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2022.3.6 主日礼拝 悲嘆から希望の民へ㉓「嘆きが喜びに変わる信仰」友納靖史牧師 【エレミヤ書 31章15~20節】(新共同訳 旧約P.1235-1236)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。

礼拝プログラム
前奏            
招詞  エレミヤ書31章31~33節  司式者
祈祷             司式者
賛美  77番 恵みふかき 父なる神 1、2節 
聖書  エレミヤ書31章15~20節
主の晩餐を覚えての黙想  "今こそ主、求めよ"      
宣教  悲嘆から希望の民へ㉓「嘆きが喜びに変わる信仰」牧師 友納靖史
祈祷
賛美  495番 主よ み手もて 1、3節
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教概要
主なる神は、エフライム(イスラエル)を「かけがえのない息子」と呼びます。しかし彼らの罪ゆえに、愛する民を裁かなければならないことに神御自身が苦悩し嘆かれる姿を、「我が腸(はらわた)、彼のために痛む」(文語訳エレミヤ31:20)と記されます。この箇所に基づき、北森嘉蔵は「神の痛みの神学」を著し、世界に影響を与えました。

 15節「ラマで声が聞こえる。苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。・・・」は、暴君ヘロデの命令により、ベツレヘムとその周辺の二歳以下の嬰児たちが無残に殺害される危機の中、エジプトへ逃避行する幼子イエスと両親の箇所で引用されます(マタイ2:18)。地名ラマとは今日エルサレム北方約8キロのエル・ラームの旧名で、ヨセフとベニヤミンの母であるラケルが失った息子の死を嘆き泣いた出来事に基づいています。エレミヤの時代、ラマはバビロン捕囚へ移送される捕虜たちの中継地で、幼子イエスらがエジプトへ向かう通過点となりました。いつの時代も、不本意な苦痛の伴う旅を強要された人々の「嘆きの中継地・通過点」の象徴とされるラマ。主なる神は時を超え、「泣きやむがよい。目から涙を拭いなさい。あなたの苦しみは報いられ…息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある…(エレ31:15-17)」と、様々な嘆きの中にある人々に希望を語ります。

 北森は、人間には二つの苦しみがあると語ります。第一に「苦難そのものの苦しみ」。第二に苦難が自分になぜふりかかってくるのかと問う「無意味さに苦しむ苦しみ」。人間が理不尽な苦難に遭遇し苦しむ時(北森の言葉「神の痛みの象徴として奉仕する時」)、それらの痛みの経験が人を神に結びつけ、神と人との断絶状態を回復へと向かわせ、神と出会った人間は、遂にはその痛みが癒され≪救われ≫る・・・との聖書理解を示しました。更に北森は、諸々の人間の痛みは、神に背き、神より離れ、断絶状態にある罪人であるゆえに私たちが感じる『神の怒り』によるもの。もう一つは、本来なら赦されるはずのない罪人でさえ、キリストの十字架において赦された『神の愛の痛みを知るために生じる痛み』の二つあると解釈します。この福音理解は、主イエスが告げられた次の御言葉に言い尽くされます。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る(マタイ16:24-25)」。幸せや喜びを、ともすると楽をして得られるようにと私たちは願います。しかし真の幸せとは、愛する者のため、隣人のために痛みを伴う愛を注ぐときに得られると、主なる神御自身が示されました。この犠牲と痛みを伴う真の愛に触れ、その愛に生きるとき、主なる神は私たちの人生における「嘆きを喜びに変え、慰め、悲しみに代えて喜び祝う(エレ31:13)」と約束しておられます。

 現在、ヘロデ王のような施政者再来により世界は突然、終末的恐怖と苦悩を経験しています。この嘆かわしい現実にあって、なお希望が与えられるのは、犠牲となった全ての命が神御自身の「切なる仁慈(いつくしみ):腸痛むと同じヘブライ語(イザヤ63:15)」により、キリストにある永遠の命と救いへ至る終着点が備えられていることを信じる信仰です。そして何よりも、痛みを伴う真の愛、つまり神に与えられた各々の賜物(時と財を含め)を奉げる信仰に立つことにより、この世の嘆きが希望に変えられる主の御業に私たちも出来ることに参与して参りましょう。十字架の道へと向かわれる直前、主イエスは言われました。「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる(ヨハネ16:20)」と。 アーメン。

主イエスよ、来たりませ。