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礼拝

12.13主歴2020 ルカによる福音書1章5~25節「神からのワクチン②『希望』」友納靖史牧師


礼拝出席カード

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礼拝終了後に掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからお聴きください。
礼拝プログラム
前奏           奏楽者
招詞           司式者
祈祷           司式者
賛美  173番 ああベツレヘムよ 1、4節 
聖書  ルカによる福音書1章5~25節  Luke 1:5‐25
特別賛美演奏  "すばらしいHoly Night" グレースアンサンブル
宣教  「神からのワクチン②『希望』」 牧師 友納靖史
祈祷
賛美  205番 まぶねの中に 1、4節 
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教概要
「願望」という個人の願いを強く求める欲求と異なり、「希望」とは、自らのみならず周りにとっても“望ましいものを求める期待を伴う<祈り>心”を表す言葉です。聖書は神より与えられる希望(神の預言と計画)は、必ず実現すると約束され、正にクリスマスは、真の救い主の誕生を待ち望み続けた人々の願いと祈りとが、神の御心と重なった喜びの出来事となりました。
 イザヤは救い主(イエス)の誕生と共に、「『主の道を整え、その道筋をまっすぐにする』(イザ40:3・ルカ3:4) 」預言者(バプテスマのヨハネ)の誕生を預言します。ヨハネの父ザカリアは祭司、母エリサベトは由緒あるアロン家の娘で、共に「神の前に正しい人で、主の掟と定めとをすべて守り、非のうちどろこない(ルカ1:6)」夫婦でした。エリサベトは不妊の身で子どもを授かることは無理だと思いこみ、それまで失意の内に年を重ねていたのです。しかしある日、主の天使が神殿の聖所に現れ、ザカリアに「恐れることはありません。あなたの願いは聞き入れられました」と語り、エリサベトに男子が与えられると告げた時、彼は驚き戸惑い、否定的な応答をしてしまいました。そこでこの箇所は、天使ガブリエルの喜ばしい知らせを否定した不信仰なザカリアへの裁きとして「口が利けなくなった」と解釈されてきました。しかし改めてこの箇所を読むと、神はザカリアに、ただ沈黙し主なる神の前に静まって仕える時を過ごさせる大切な時を与えられたことが分かります。息子の誕生まで「話すことができなくなった」ザカリアでしたが、黙して神殿での奉仕を続け、当時は父親の名を踏襲する慣習を覆し、天使の告げた通り「ヨハネ」と名付ける信仰を表明したのです。すると「たちまち彼の口は開き、舌がほどけ、神を賛美しはじめ」「聖霊に満たされ」て神の救いの確かさを克明に預言する者として用いられました(1:64-79)。ザカリアは確かに「非のうちどころのない」倫理的(律法を守る)生き方をした人でした。けれども神は、彼が信仰的には人間の常識や限界を優先する未成熟な神への信頼を克服するために関わってくださったのです。つまり神は、ザカリアが口のきけない状況におかれることで、人前に沈黙し、ただ神との関係性を深め、神のご計画に心を開き、信仰の成熟を促す訓練の時を与えられたのです。繰り返しますが、話せなくなったのは、「神の裁き」ではなく、「神の訓練と恵み」の時でした。
 このザカリアの経験は、現在、様々な自由を奪われ、心痛める私たちにとっても希望を注がれる出来事です。なぜなら、たとえ完璧(善人)と見えるザカリアのような人であっても、神は愛するがゆえに、戸惑いと苦しみの期間を通され、訓練されるお方だからです。私たちは自分の経験や常識の範囲を超えると神の言葉さえ受け入れることが難しい弱さを持っています。しかし主なる神は、このような未成熟な私たちが神の偉大な計画の一翼を担う者へと新たにつくり変えるため、意味ある試練の時を与え、関わってくださいます。
聖書の語る「希望」とは、神が立てられた計画を、神の民である私たちが自らの願い・使命とし、神に喜び従おうとする信仰の姿勢を表す言葉です。主イエスは公生涯において、父なる神の御心に「十字架の死に至るまで(フィリ2:8)」従い続け、ご自身が復活される希望を抱きつつ、イエスを主と信じる者全てに神が与えられる復活の希望を現実(成就)してくださいました。この神の御子イエスの誕生を祝うクリスマスの時に、改めて救い主イエスが注がれる真の「希望(のワクチン)」を、キリストの身体なる教会と私たち自身に受けて(接種して)、希望を抱いて生きる者とされますように祈りましょう。

「わたしの魂よ、沈黙して、ただ神に向かえ。
神にのみ、わたしは希望をおいている。
神はわたしの岩、わたしの救い、砦の塔。
わたしは動揺しない(詩編62:6-7)」