礼拝
12.27主歴2020 マタイによる福音書16章13~20節 「行けない教会」 馬越牧牧師
- 音声メッセージ
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- 礼拝プログラム
- 前奏 奏楽者
招詞 司式者
祈祷 司式者
賛美 187番 いざ歌いまつれ 1、3節
聖書 マタイによる福音書16章13~20節 Matthew16:13-20
宣教 「行けない教会」 牧師 馬越 牧
祈祷
賛美 363番 キリスト教会の主よ 1、3節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」 16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
(マタイによる福音書16章15−16節)
2020年は大変な一年でした。世界中多くの場所で教会は扉を閉ざさるを得なくなり、教会で集まることが出来なくなりました。この一年ほど「教会とは何か?」という問いを考えさせらえたことはなかったのではないでしょうか。教会というと建物をイメージしたり、場所やその伝道方法についてすぐに考えがちですが、本日の箇所を読むと実は教会は「イエスが誰か?」という土台に建てられていることが分かります。建物がなくても大きな予算が取れなくても、私たちがイエスを「生ける神の御子キリスト」と告白していれば、私たち自身の上に教会が建てられるとイエスは言っておられます。
もちろんここで言う教会というのは物質を伴う教会ではありません。聖書には二種類の「教会」が出てきます。一つは「地元教会」。これは文字通り地元に根差した教会であり、人々が一つの場所に集まり主を礼拝し賛美する教会です。
一方で「見えない教会」というコンセプトの教会も書かれています。英語では “invisible church” とか “universal chruch” と言いますが、これは神だけが見ることのできる私たちの内にある教会です。パウロはこう書いています「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(第2コリント3:16) 勿論イエスが私たちの告白の上に建てる教会は後者の方です。大事なのは、地元の教会に行っていたとしても、私たちの内に「見えない教会」が建てられていなければ天の国に入ることはできないと言うことです。
主は私たちのうちにある信仰を見られます。
私たちはイエスを「生ける神の御子キリスト」と告白し、内に教会が建てられているでしょうか?この告白の意味を一つ一つ見ていきましょう。まず、ペテロは「生ける神の御子」と告白しました。「生きる」と言う言葉はギリシャ語で二種類あります。一つはBios(バイオス)という言葉で、これは生物学的な生命を表すのと同時に物質的に生きていることを表します。もう一つは Zoe (ゾーエ)という言葉でこれは神からくる命を表します。ペテロの「生ける神の御子」という告白では、後者のZoe が原語では使われています。「イエス・キリストは生きている」というペテロの告白は、イエスは命の源として生きており、私たちもそれによって生かされるという告白です。私たちが信仰告白する時にどちらの言葉を使って告白しているでしょうか?物質的な豊さだけを求めて「私を生かしてください」と祈っているでしょうか?もっと深い意味において永遠の罪からの救いを祈っているでしょうか?またペテロは「キリストです」という告白をしています。キリストは救い主という意味ですが、私たちがイエスをキリストとして告白するには、そもそも私たちが救いを必要としているとへり下って認める必要があります。日々十字架の前にひざまづいてイエスを私たちの罪を赦し、救ってくださる救い主キリストと告白していますか?
イエスを「生ける神の御子キリスト」と告白しているのであれば私達一人一人が教会です。つまり教会は「行く場所」ではなく、教会自身が行くのです。皆さんの内にある教会の扉は今日開いていますか?私たちの周りに主イエスキリストの愛を必要としている人がたくさんいます。是非2021年「行く教会」になりましょう。