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礼拝
友納靖史

8.23主歴2020 ヨシュア記9章3~15節 「約束の地へ共に⑨『惑わされるな』」 友納靖史牧師

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プログラム
前奏           奏楽者
招詞           司式者
祈祷           司式者
賛美  77番 恵みふかき 父なる神 1、2節 
聖書  ヨシュア記9章3~15節  Joshua9:3‐15
特別賛美演奏  "燃え立つ言葉も"    奏楽者
宣教  「約束の地へ共に⑨『惑わされるな』」 牧師 友納靖史
祈祷
賛美  134番 生命のみことば たえにくすし 1、3節 
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教要旨
アダムとエバが「賢い蛇」の言葉に惑わされ罪を犯し、全てを与えておられた神の恵みから引き離されて以来、この地上で生きる時、多くの「惑わし」「誘惑」に遭遇します。主イエスは、世の終わりについて弟子たちに尋ねられた時、「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう(マタイ24:4-5)」と注意を促されています。
エリコとアイを征服したイスラエルに恐れを覚えたヨルダン川西側に住むカナン人の先住民は一致団結し、ヨシュアたちと正面から闘うことを決めました(9:1-2)。しかしギブオンの住民だけは、イスラエルと協定を結び、生き延びる道を選び、外国から来た民のように巧妙に服装や食料を工作して神の民を惑わす作戦に出ました。ヨシュアは彼らに「あなたたちは何者か。どこから来たのか」と尋ねます。すると彼らは真実の姿を隠し偽り、それを証明するべく、長旅で干からびたパンとボロボロになったぶどう酒入の革袋を渡したため、ヨシュアたちは見抜くことが出来ませんでした。この時イスラエルの民は「彼らの食糧を受け取ったが、主の指示を求めなかった(9:14)」と、ヨシュア記の著者は後悔の念を含む言葉でこの出来事を書き記します。「もしあの時、主なる神に祈り、何をすべきか助けを求めていれば違っていたはずだ…」との叫び声が聞こえてくるようです。こうして確かにギブオン人は血を流すことなくイスラエルと共生の道を歩みますが、その後「芝刈り・水汲み」を負う民(9:27)として、差別を受け続ける存在となります。かつてイサクの次男ヤコブが兄エソウから長子の権利を巧妙な手段で奪い取ることに成功しながらも、その後、兄と再会して和解する時まで、ヤコブは長きに亘る心と魂の内なる葛藤で苦しみ続けました。私たちもヤコブのように、たとえ人を惑わし、騙すことは一時的に出来ても、神の前において、何よりも自らを偽ることはできません。イスラエルの民もギブオン人も、お互いの間に出来た不信の溝や壁は消えませんでした(士師記1:28)。
 
教会の礼拝の中で「主の晩餐式」が守れなくなり、3月から半年が過ぎました。改めて主の晩餐を受ける意味をキリスト者ひとり一人が深く考え黙想する時とされています。かつてギブオン人によって用いられたパンとぶどう酒は神の民を惑わす徴となりました。しかし、主イエスは十字架へ向かう前の晩、「パン」と「ぶどう酒」を用いて、主自身が人間の罪を贖う犠牲となる御体と血潮の象徴とされ、同じパンとぶどう酒を「神の愛のしるし」へと変えてくださいました。ですから、主の晩餐式に与る時、驚くべき赦しと救いの「新しい契約」がキリストによって、神と私たちの間に結ばれていることを思い起こさせて頂けるのです。そして「だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです」とのパウロの言葉の通り(コリント一11:23-34)、自らの内面に偽りがないか<神と隣人と自らの関係性>を主に祈り、確かめ、日々新しい者へと造り変えて頂く恵みの時であった…と今、心から感謝する者とされています。
「主の晩餐式」が再開できる時を心から待ち望みます。そして再び、神の驚くべき赦しと救いを心に刻む恵みの時として、賛美と感謝を奉げつつ与る者とされましょう。