礼拝
1.17主歴2021 コリントの信徒への手紙二13章11~13節 信仰だけは3密で①祝福は「父・子・聖霊の神」友納靖史牧師
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- 礼拝プログラム
- 前奏 奏楽者
招詞 司式者
祈祷 司式者
賛美 1番 聖なる 聖なる 聖なるかな 1、2節
聖書 コリントの信徒への手紙二13章11~13節 2Corinthians13:11-13
特別賛美演奏 "み言葉もて霊の火を" 奏楽者
宣教 「信仰だけ3密で①祝福は『父・子・聖霊の神』より」 牧師 友納靖史
祈祷
賛美 81番 父なるわが神 1、4節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「礼拝最後の『祝祷』って何ですか?」と尋ねられることがあります。漢字「祝祷」は祝福(Blessing)と感謝の祈祷(Benediction)が組み合わさったものです。コリント書簡の最後に、別れの挨拶だけでなく、「主イエスの恵み、神の愛、聖霊の交わり」が全ての者に注がれること信じて祝福する、使徒的権威を託された牧師たちが祈る伝統としてプロテスタント諸教会に根付きました。会衆主義に立つバプテスト教会でさえ、「二つの礼典(主の晩餐とバプテスマ)」の執行と「祝祷」だけは、按手礼を授かり、教会より任命された者だけが挙行できると解釈し、今に至っています。
この祝祷の言葉には、キリスト教史上、最も大切にする奥儀(おくぎ・ミステリオーン)である「三位一体」の信仰を宣言する大切な時です。神は『唯一』であると信じ、かつ『父なる神、子なる神、聖霊なる神』を信じる。これは一般の理論常識からすると矛盾しているように感じられます。しかし聖書全体を読むと、これこそ神の奥儀・真理として宣言されています。最も有名な箇所は、天と地の一切の権能を授かっている主イエスが昇天を前に、弟子たちを祝福し、全世界へと送り出す場面です。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授けなさい…」(マタイ28:20)。ここには、「父なる神」「主イエス」と共に、「聖霊」が同じ権威を有する『名(単数形)』として語られます。この事実を知識で受けとめるのでなく、個々人に聖霊の働きによって明らかにされることを信頼し、待ち続ける。この信仰が、キリスト者の「霊性」です。つまり、自分が理解することを信じるのではなく、聖霊なる神に語りかけられることを謙虚に信じる姿勢を整えて頂くための、神の知恵だからです。パウロは「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。…神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです(コリ一1:18-25)」と主イエスの十字架と共に福音の奥儀を理解できるのは、人の知恵を越えて働く聖霊の業だと語られる通りです。
神の被造物である地球、壮大な宇宙、更に今この目の前で起きる事象さえ、全てを私たちが理解するには限界があると思い知らされる時、神の前に謙虚にさせられます。しかし同時に、今この世が直面する困難を解決するため、恐れずに関わることができるように、偉大な創造主の知恵と祝福が注がれ、大胆な勇気と力とが与えられる信じ、礼拝に集う人々を世へと送り出す祈りです。
今宣教シリーズは、三一なる神・主の存在を知り、この世における神の計画をより深く理解し、その偉大な力に導かれて喜び生きる生活を願い求めつつ、御言葉に聴きたいのです。なぜならキリスト者が幼子のままでなく、成熟した大人とされ、別の表現では、「霊性」が高められることを願い求めるからです。それを理解する第一の鍵こそ、三一の主なる神、父と子と聖霊の交わりの中に秘められた「愛」の関係性をしることです。つまり、父は子と聖霊を信頼し、子は父と聖霊を信頼し、子も聖霊も父なる神の御心を行う…この愛の深い関係性が聖書の全体、根底に地下水のように流れているからです。「互いに愛し合いなさい」と、神が上から目線でただお命じになるのでなく、真に愛し合う姿を、父なる神ご自身が、御子、そして聖霊との関係で表してくださるお姿に驚きと感銘を覚えます。愛する者のために、人間の常識を超えて出来ることを何でもされる愛なる神。この愛が十字架に示されたことを体験することなくしては、「救い」「裁き」など聖書の真理を理解することはできません。
「いつまでも残るものは信仰・希望・愛。その中で最も大いなるものは愛である(コリ一13:13)」とある通り、3つが密接にかかわり、その根底にある愛こそが、私たちを永遠に主なる神との関係の中にとどめてくれるのですから。