礼拝
ローラ・フーシー
2021.3.7「共に神の御業を思いだそう」ローラ・フーシー宣教師/詩編 105篇
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏 奏楽者
招詞 司式者
祈祷 司式者
賛美 136番 いとも確かな基かな 1、4節
聖書 詩編105篇
主の晩餐を覚えての黙想 "ひとつの聖霊" 奏楽者
宣教 「共に神の御業を思いだそう」 宣教師 ローラ・フーシー
祈祷
賛美 134番 生命のみことば たえにくすし 1、3節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 聖書の学びにどんなイメージを持っていますか。もしかしたら教会学校や祈祷会のようなイメージを考えるかもしれません。しかし、この一年間で教会の兄弟姉妹と一緒に聖書を学ぶことが難しくなりました。新型コロナによって今は対面で会えない時期だからこそ、教会の兄弟姉妹と一緒に日々の生活のことを振り返りながら、将来に向けて考えるチャンスがあると思います。
聖書には、教会学校についての具体的な記述はありませんが、なぜ私たちが教会学校を開くのか、その心を聖書の物語から読み解くことができます、またそれがどのような形であれ教会学校を形作る助けとなります。
私は教会の兄弟姉妹と一緒に聖書の勉強をする理由が二つあると思います。それは信仰の歴史を思い出すことと共同体の関係を作ることです。
詩篇105篇は、そのことを示しています。詩篇は5巻に分けられ、この第4巻目の本は、ユダヤ人がバビロニアへ捕虜として追放された時期に書かれました。神殿もエルサレムも倒されたユダヤ人は歴史を振り返ることを通して希望を持ちました。
詩篇の作者はイスラエルの人々の生活の中での救いの御業を振り返ります。創世記からヨシュア記まで、その歴史における神の存在と導きを賛美しつつユダヤ人を導いています。
数千年を経た今、クリスチャンの私たちもユダヤ人のように自分の信仰の歴史を覚えることに責任があるのではないでしょうか。キリスト教の教育の中心となる聖書の御言葉は神さまのことについて学ぶ入り口なのです。御言葉の学びを通してかこ過去の御業を思い出し、現在にも将来にも希望をもてるようになります。
また、ほとんどの人々にとって、教会学校や祈祷会の魅力は信仰を共にする共同体の魅力だと思います。今日の詩篇105篇は共同体の詩篇として知られています。この詩篇は共同体のために書かれ、共同体の礼拝に用いられました。現在の私たちは一緒に聖書を学ぶ中で、他の人々の意見を聞きながら学べる機会が深まると思います。また、一緒に信仰について学べば、よい仲間になるのではないでしょうか。この仲間の中で、自分一人ではなく、一緒に聖書の教えに従うように支え合うこともできると思います。
それでは、このコロナ時代と詩篇105篇の両方を考えながら、ここから教えられることは何でしょうか。このコロナ禍の経験を通して聖書の学びと交わりをさらに大切にし、そこから新しい方法で人々に御言葉を伝えるための努力をしようと思うことかもしれません。神さまのお導きをお祈りいたしましょう。