VIDEO

教会のビデオコーナー

  1. HOME
  2. 教会ビデオ
  3. 2021.2.28「信仰だけは3密で⑤「赦す力は『聖霊』により」(ヨハネによる福音書20章19~23節)友納靖史牧師

礼拝

2021.2.28「信仰だけは3密で⑤「赦す力は『聖霊』により」(ヨハネによる福音書20章19~23節)友納靖史牧師


礼拝出席カード


音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏           奏楽者
招詞           司式者
祈祷           司式者
賛美  544番 ああ嬉しわが身も 1、3節 
聖書  ヨハネによる福音書20章19~23節  
特別賛美演奏  "罪赦されしこの身をば"   奏楽者
宣教  信仰だけは3密で⑤「赦す力は『聖霊』により」 牧師 友納靖史
祈祷
賛美  401番 わが君イエスよ罪の身は 1、2節 
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教概要
 病に苦しむ人を四人の友が主イエスのおられる家に連れて行き、屋根をはがして穴を開ける、つり降ろして主の癒しを願う驚くべき愛の出来事(マルコ2:1-12)。主は、その人たちの信仰を見て、『子よ、あなたの罪は赦される』」と語りかけました。側にいた律法学者たちは憤慨し心の中で「この人は…神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが罪を赦すことができるだろうか」とつぶやいたのです。すると彼らが考えていることを、主は“(聖)霊の力”で見抜かれました。そして病床にある人に対し「癒される」とは言われず、「あなたは赦される」と言われたのです。なぜならこの人の病は、身体的病から生じるものでなく、人間関係等における心と魂への苦痛と傷、そして宗教家が与えた必要のない罪の重荷が原因だと、正に霊の力で見抜いておられたからでしょう。そして「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」との主の呼びかけに従った時、この人は全人的な癒しと共に救われたのです。
 ここに主イエスが当時、多くの宗教者たちから憎まれた最大の理由があります。つまり「罪の赦し」とは、神以外には成し得ない神の領域だと当時の人々は信じ疑わなかったからです。復活された主イエスが、恐れと恐怖の只中に置かれていた弟子達に対し、冒頭で語られたのが「聖霊を受けよ」とのご命令と、和解と「赦し」に関する事柄でした(ヨハネ20:21~)。ここで主は「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される」と、赦しを宣言する権威を弟子たちに託されたのです。更に「あなた方が赦さなければ、赦されないまま残る」と言われ、主より委託された王権と使命の重さを弟子達に自覚させようとされたのです。確かに、主イエスがかつてペトロに、「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる(マタイ16:19)」と語られましたことがあります。つまり聖霊によってイエスを救い主と信じ、主告白をさせて頂いた者は、天の国にまで影響を与えるほどの力をこの地上で授かっていると教えられました。これは弟子達に権威があるのではなく、聖霊に導かれる者は常に神の御旨に謙遜に従い、主の御業を担おうとする、正にスチュワードシップとしての信頼の関係性が証しされます。
 人生の中で最も難しい決断こそ「人を赦し」、「自分を赦す」この二つです。何よりも主イエスは、罪一つない御自身を罵り、殺害しようとする人々の罪の赦しを宣言されました。この驚くべき茨の道を通り、死より復活されて勝利を得られた直後に呼びかけられたのが今日の箇所です。『聖霊を受けなさい』と主が暖かな息を吹きかけられる姿(21:22)は、人間を創造された(創世2:7)出来事と重なります。「だれの罪でも、あなたが赦せば、その罪は赦されが、赦さないと残る…」とは正に「赦しの宣言」をされるか否かで人生が大きく分かれるからです。
 「赦し」とは感情的決断でなく、主イエスのご命令だと信じ生きる群れにアナバプテストに同じルーツを持つアーミッシュがいます。現代文明が生み出す便利さの多くを拒絶し自然体で愚直に生きる彼らは「赦し」の定義を区分します。最初の「Forgiveness:赦し」は、イエスが彼らを赦し救われたように、主イエスの御命令として自分も他者を信仰の業として『赦す』のです。もう一つの「Pardon:赦免」とは、罪を犯した人が担うべき法的な償いについては、彼らはこの世の掟に従うことを選ぶのです。
 「赦し合う」ことは安易にできるものではありません。しかし「赦し」こそ、聖霊なる神の働きに頼る以外、人間の知恵や力では成し得ない神の国の領域に属するものです。だからこそ共に「聖霊を与えてください」と祈り求めましょう。主は必ず私たちの祈りに応え(ルカ11:9-13)、新たに創造してくださるお方だからです(コリント二5:17)。さあ、踏み出しましょう。聖霊と共に。