礼拝
友納靖史
2021.4.11 主日礼拝「見えないのに信じる」カーソン・フーシー 宣教師 ヨハネによる福音書20章19~30節(新共同訳 新約P.210)
- 常盤台教会のライブ礼拝にようこそ。ご出席された方は、ぜひ出席カードへのご記入をお願いいたします。
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏 奏楽者
招詞 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生240番 救いの主はハレルヤ 1、2節
聖書 ヨハネによる福音書20章19~31節
特別賛美演奏 "ああ主のひとみ" 奏楽者
宣教 「見えないのに信じる」 カーソン・フーシー宣教師
祈祷
賛美 新生272番 神の息よ 1、2、4節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 礼拝宣教
- ヨハネの福音書では視覚と信仰との関係が非常に重要です。視覚に関するテーマでは、記者のヨハネはイエスさまの誕生、生涯、死と復活に関してよく取り上げました。実は、ヨハネの福音書の中でギリシア語の「ホラオ」という動詞は20回も使われています。「ホラオ」は英語では「see」、日本語では「見る」のような使い方がありますが、具体的に見て理解するという意味もあります。
今日の聖書の箇所では、イエスさまに従った弟子たちは、イエスさまの死の出来事を恐れ、嘆き悲しんでいました。イエスさまの仲間として殺される可能性への恐れがありましたから、弟子たちは家の鍵がかけられた戸の後ろにいました。その中で、イエスさまは部屋の中の皆の前に現れました。弟子たちはやっとイエスさまのお姿と御言葉を理解し、皆の恐怖は喜びに変わりました。皆はイエスさまのお姿を見て、御言葉を信じて、待ち望んだ聖霊を頂きました。
残念ですが、弟子のトマスはいませんでした。トマスは仲間と同じようにイエスさまを目の前に見るまではイエスさまの復活のことを信じません。一週間後、トマスが願った機会が来ました。トマスの動作による確認は聖書に書いてありませんが、深い信仰の証しが理解できます。トマスは喜んで「私の主、私の神よ」と言いました。
イエスさまは将来に向けて道を準備するように、こう言われました。「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
現在の私たちにとっては、イエスさまのお姿を見て簡単に信じることはもっと難しいことではないでしょうか。ですから、聖霊を頂きます。天地創造の時に神さまが人間の鼻に命の息を吹き入れたように、弟子たちに新たな命の息を吹きかけました。また、現在の私たちも同じ聖霊という三位一体の一つの働きを通して、正義の道に向けて歩んでおります。
コロナ禍の中で人間関係や健康や、経済的な問題などが拡大されてきました。この暗闇の中で私たちは神さまに向かってお祈りします。神さまは聖霊を通して、目と心でも神さまの御業が見えたり感じられるようにして答えてくださいますので、イエスさまのお導きに希望を見出します。
神さまに恵みを受けた私たちはイエスさまのお姿が見えなくてもイエスさまを信じ、今日から五感で神の声を聞き、イエスさまの平和を頂き、聖霊のお導きのもとに信仰の旅を歩んでいきましょう。