「神の示す方向」松崎準牧師

ヨナは、紀元前8世紀の北王国イスラエルの預言者です。神はヨナにアッシリアの都ニネベへ行って預言をするように命じます。その内容は「悪を悔い改めて行いを改めなければ、まもなく神の審判が下り滅ぼされる」というものでした。しかし、ヨナはこの命令に従わず、反対方向のタルシシュ(現在のスペインの辺り)に逃げて行きます。しかし、神はヨナが逃げるのを許しません。神はヨナの乗った船に嵐を送り、身動きが取れないようにします。船員たちはそれぞれ自分の神に助けを求めながら必死になって船が沈まないように努力します。しかし、ヨナは船底に降りて横になって安心しきってぐっすりと眠っていました。しばらくすると、船長がヨナのところに来て「寝ているとは何事か」とたたき起こし「この嵐の原因はお前にある」と言いました。ヨナは自ら責任をとって海に投げ込まれるようにしました。
この船の中で眠っているという場面は、マルコによる福音書4章35節以下にも似たような場面があります。ガリラヤ湖でイエス様が嵐を静めた箇所です。ヨナは神の命令に背き、タルシシュに向かう途上で大嵐に遭ったとき、「これでもう、神から逃げることができた」と安心しきって眠っていました。一方、イエス様が乗った船もまたガリラヤ湖で嵐に遭いましたが、イエス様は神に信頼していたので平安のうちに眠っていました。両者は、「嵐に遭うこと」も「船で眠っていること」も共通していますが、中身が全く対照的です。イエス様の船は「向こう岸に渡ろう」というイエス様の呼びかけに従って「向こう岸」に向かっていました。しかし、ヨナの乗った船は神が示した方向とは逆の方向に向かっていました。私たちの人生にも嵐が襲ってくることがあります。そのとき私たちはどちら向きの船に乗っているでしょうか?
自分がどこに向かうことが神の御心なのかと問うていくことは、私たちの人生において最も大切なことです。向う方向が間違っていなければ、たとえ嵐が来ようとも恐れることはありません。主が共に船に乗っておられ、一緒に向こう岸へ渡ってくださり、主の言葉は風と波に打ち勝ってくださるからです。しかし、タルシシュに向かっているなら、神から逃れられたとどんなに安心しきっていてもたたき起こされ海に投げ込まれてしまうかもしれません。
海に投げ込まれたヨナはどうなったでしょうか?神は大きな魚を用いてヨナの命を救われました。そして、ヨナに考える時間と悔い改める時間を与えてくださいました。一度失敗をしたらそこで終わりではないのです。嵐の海に投げ込まれてしまったとしても、主なる神は必ず逃れの道をも備えてくださり、悔い改める機会を与えてくださるのです。私たちはそのような神の大きな御手の中で神に愛され生かされているのです。

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