「 イエスの語る旧約の福音(14)『さあ、立て。ここから出かけよう』」友納靖史牧師(2019/06/09)
[聖書]歴代誌上4章9~10節、ヨハネによる福音書14章25~31節
主イエスの“弟子”としての務め(大宣教命令)を、マルコは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝え(16:15)」ること、マタイは「すべての民をわたしの弟子にする(28:19)」ことだと、復活後召天前に主が語られたと証言します。一方ルカは「あなたがたの上に聖霊が降るとあなたがたは力を受ける。そして、…地の果てに至るまで、わたしの証人となる(使徒1:8)」と約束され、ペンテコステの日にその働きが始まったと記しました。ところがヨハネは、受難と十字架の前、主が聖霊を与える約束をされた時既に「さあ、立て。ここから出かけよう(14:31)」と弟子たちへ呼びかけたと証しします。特にヨハネ福音書が書かれた時代、教会に大迫害が迫っており、十字架の道へと向かわれた主イエスを覚えつつ、多くの苦難と痛みを体験する当時の主の弟子たちを労い励ます目的で記されました。そうして、いつの時代も主の弟子たちが、今いる所から立ち上がり、恐れずに福音宣教に遣わされて行くことが呼びかけられます。
旧約の歴代誌は、創世記からバビロン捕囚に至るまでのイスラエルの歴史が系図を通して再び語られます。この書にしか記されていない人物が登場します。どのような苦難が彼やその家族を襲ったのか記されませんが、彼には「ヤベツ:苦しみ・痛み」という意味の名前が付けられました。けれども彼は自分の名に卑屈になることなく、偉大な神に信頼し、大胆な祈りを捧げます。「どうかわたしを祝福して、わたしの領土(国境・地境)を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」と。この祈りに対し「神はこの求めを聞き入れられた」と証言されます。何度も「わたし」とありますから、自己主張的響きを持つ祈りに対し反発もあるでしょう。ですが、彼を襲った「苦難」に対して恐れずに全能なる神の助けを祈り求め、『領土』と呼ぶ、彼自身が持つ限りある能力、経験などの範疇(はんちゅう)を超え、主の願われる広大な祝福の人生を生きることを願い求める姿勢を神は祝福されました。なぜならこの祈りは、主イエスがゲッセマネの園で苦難を前に正直に祈られた祈りにも通じるからです。ですからこの「ヤベツの祈り」を、「主の祈り」や御言葉からの祈りに加えて祈る時、主の恵みを共に体験できます。
常盤台教会が創立され69年目を迎えました。これまでの歴史を振り返ると、福音宣教の進展を喜ぶ時ばかりではなく、痛みと苦難の時も通されたはずです。ですが、ヤベツのように苦難と困難の中にありながらも、主なる神を信頼し、祈り続けた信仰者達の祈りに神は応えてくださり、多くの祝福を今もこの教会は受けているのです。私たちも祈りましょう。「主よ、どうかこの教会が、私(たち)が持つ『地境』を超え、福音宣教の業が豊かに広がり・・・ますように」と。