「 イエスの語る旧約の福音(9)『おこぼれに与る恵み』 」友納靖史牧師(2019/04/07)
[聖書]ルツ記2章1~13節、マタイによる福音書15章21~28節
自らの力ではなく与えられたものを「お零れ」と呼びます。正に「救い」は自らの努力によらず、ただ神の愛と憐れみによる「お零れ」だと旧新訳聖書を通じ宣言します。
ルツ記には士師の時代、飢饉のためユダの地ベツレヘムからナオミが夫と共に二人息子を連れ、異国の地モアブへ移り住む物語から語られます。悲しくも夫と息子たちに先立たれ、嫁となった他国女性二人がナオミの元に留まろうとしますが、彼女は嫁たちを実家に帰し再出発させようとします。けれども次男の嫁ルツだけは最後までナオミの信じる神を信じ、彼女から離れようとしませんでした。共に故郷へ帰ったものの生きる術なく、秋の収穫時、貧しい者や居留者を救済する「落穂拾い」のため、地元有力者ボアズの畑へとルツは送り出されました。容姿内面共に美しいルツに目をかけたボアズより、二人は驚く程の恩恵を受けます。その後ルツはボアズと結ばれ、息子オベドが誕生。オベドの息子エッサイの子が後のダビデ王となりました(マタイ1:5-6「イエス誕生までの家系図」)。純血を重んじるユダヤ人が、異邦人女性ルツを通して偉大な王ダビデ、救い主が誕生する事実を臆せず語り、分け隔てされない主の愛と計画が証しされます。
マタイには、ギリシャ人の母親とイエスとの出会いが記されます。当時、限りある時間でご自分の使命は、まず神の民イスラエルに福音を宣べ伝えることを主は計画しておられました。ですから娘が悪霊に苦しむ外国の女性が助けを求めた時、表面的にはイエスは冷たい態度をとったように見えます。ところが彼女が「主よ、どうかお助けください」と主イエスの前にひれ伏すと、主はユーモアをもってこう語ります。「子供たち(ユダヤ人)のパンを取って小犬(異邦人)にやってはいけない」と。当時の社会は外国(異邦)人を「犬」と呼び根深い差別がありました。ところが、主イエスは決して「犬」と差別用語を使わず、ユーモアに満ちた愛らしい表現「小犬」と呼ばれました。そこでこの女性もユーモアで返答します。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と。その姿に主は大いに感銘を受け、「おぉ!婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」と語られたその瞬間、娘の病気が癒されたのです。
ここに、愛する娘のために決して諦めることなく、本来なら受けられない神の恵み(癒しと救い)の「お零れ」に与った女性の信仰に最大級(メガス)の賛辞を語られる姿に私たちも教えられます。受難節の只にある私たちは今、私たちが魂の救いと平安、永遠の命の希望を頂いていることは、ただ主イエスさまの十字架の死に至るまで徹底した父なる神への信仰と全て者への愛の「お零れ」に与っていること。この恵みに感謝し、私たちも精一杯の主への賛美をそれぞれの生活の場で奉げましょう。