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<新年礼拝>「イエスの語る旧約の福音(32)『嘆きが喜びに変わる年』 」友納靖史牧師(2020/01/05)

[聖書]エレミヤ書31章10~17節、マタイによる福音書2章13~23節
 主にあって、新年明けましておめでとうございます。常盤台教会は今年、創立70周年を迎えます。主がこれまで、そしてこれからも教会に対する計画は「災いではなく、平和の計画であり、将来と希望を与える(エレミヤ29:11)」ことを信じ告白します。それを告げたエレミヤは「涙の預言者」と称される程、苦難と悲嘆の中に置かれ、それでもなお神の言を忠実に語り続けました。
 彼は南ユダ王国における預言者として神に立てられていましたが、アッシリア帝国によって既に滅ぼされていた北イスラエルの回復を31章で預言します。つまり、神はバビロン捕囚によりこれから滅ぼされていく南王国の回復の希望のみならず、偶像礼拝の罪のために滅ぼされた北王国の回復を前もって語られました。それは、神が決して義なる「裁きの神」としてではなく、愛なる「救いの神」であることをイエス誕生によって明確になる新約の福音がこの時、既に示されたのです。特にマタイはエレミヤがイエス誕生により、当時の治世者ヘロデ王の悪が多くの罪なき幼子たちを死に追いやる姿を「ラケルの嘆き」として預言したと語ります。ラケルとはヨセフの実の弟ベニヤミン(南ユダの始祖)の実母であり、エフライム(北イスラエルの始祖)の祖母でした。二つの国が滅びに至ることを既に死んで神の許にあるラケルが嘆く姿を、更にイエス誕生の時、またその後も人間の罪ゆえに尊い命が奪われる姿と重ねます。マタイに記される罪なき幼子の殺戮は今なおその意味を理解することは困難です。
 けれどもエレミヤは彼の生涯を通し、悲しみと嘆きの先に備えられる神にある希望を語りました。「泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる…あなたの未来には希望がある(31:16-17)」と。ここに真の神を信じる信仰によってのみ与えられる希望があります。つまり、人生における嘆きが喜びに変わるとは、この地上におけることだけではないのです。たとえこの地上において、神に忠実に従い、神の御言葉を伝えるがために非難され、迫害されるとしても、神の国の世界における神にある報いがあることを信じられるか否かが問われています。それは主イエスの十字架の死の先に与えられた復活という驚くべき神の計画を通して、エレミヤの預言は成就します。そして今、私たちも神の最後の審判の先にある新しい世界への希望を信じ、エレミヤのように嘆きの先を見つめる希望を抱く者へとされる信仰の成熟を目指しましょう。主イエスはだからこう語られたのです。「悲しむ人々は幸い…、義のために迫害される人々は幸い…(マタ5:4,10)」だと。
 節目を迎えたこの2020年、主が私たちの教会を通して、北南両王国のように希望を失った者にさえ、回復の希望が全ての人々に備えてくださる神を信じ、大胆に宣べ伝える群れとされて共に歩み出しましょう。

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