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「コイノニアー神と共にある平安」友納靖史牧師(2018/11/04)

「コイノニア」とは、第一に「神との霊的な交わり」、第二に「キリストを信じる者同士が主を介して持つ交わり」の両方を意味するギリシャ語です。今週は、神との関係を深めることにより、真の平安がどのように与えられるかを分かち合います。毎週の礼拝を終える直前にある「祝祷」の言葉の一つに、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり(コイノニア)が、あなたがた一同と共にあるように(コリ二13:13)」が祈られ、主なる神とのコイノニアがいかに大切であるかが宣言され、この世へと遣わされていきます。
 ドイツの神学者ボンヘッファーの名著『共に生きる生活』には「交わりとは何か」が語られ、世界中のキリスト者に今も大きな影響を与え続けています。「キリスト者にとって、彼が〔他の〕キリスト者との交わりの中でいきることを許されているということは、決して自明的なことではない。イエス・キリストは、敵のただ中で生活された。…。だからキリスト者も、修道院の孤独な生活へと隠遁することなく、敵のただ中にあって生活するのである。そこにキリスト者は、その課題・働きの場を持つのである(『共に生きる生活』森野善右衛門訳より)」。私たちが願う『平安』な状態とは、すべての人々と良い関係でいることです。けれども現実は決してそうではりません。
ダビデの詩の一つ、詩編16篇は、平穏無事な状況の中で歌われたものではありません。いわれのない憎しみをサウル王から受け、命さえ狙われていたダビデは(サムエル上26:18前後)、苦悩の中より神への信頼の賛美として奉げられたものです。神への絶対的な深い信仰があったからこそ、ダビデはサウルに対して復讐ではなく、正義と愛に基づいて行動する平安な心が与えられました。「わたしは揺らぐことがありません。…からだは安心して憩います(16:8-9)」と。
 神と共に歩む時に与えられる平安とは、祝福と喜びの只中で与えられることも真実です。しかし、苦悩と課題の只中に置かれている時にさえ、永遠のいのちへの道を示された主が私たちと共におられ、いかなる時にも揺らいでも消え去らない平安、真のコイノニアの中に生きる者とされるのです。
 ペトロは聖霊を注がれた時、この詩編16篇の真理を悟る者とされ、ここで語られる「主」こそ、主イエスご自身のことであったと、畏れと感動に包まれて宣教しました(使徒2:22-28)。神とのコイノニア・交わりの中で与えられる最大の恵みと喜びは、日々の喧噪のただ中にあっても、主なる神との静かな交わり(ディボーション・メディテーション:聖書と祈りと黙想の時)を持ち、主にある祝福の計画の中で生かされていることを悟らされるのです。豊かなコイノニアの中で共に生かされていることを感謝致します。

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