「 わたしの道を歩くために」山下真実牧師(2019/03/31)

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[聖書]箴言3章5~6節、マタイによる福音書18章10~14節
 私たちの人生は、よく「道」に譬えられます。高村光太郎氏は「僕の前に道はない/僕の
後ろに道は出来る」と詠いました(詩『道程』)。私たちは皆、その道を歩いて今に至り、今立っているところから、またその道を歩き続けてそれぞれの人生を生きていきます。

「 イエスの語る旧約の福音(8)『神による選び、そして従順』 」友納靖史牧師(2019/03/24)

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 主イエスには120名以上(使徒1:15他)の「弟子」がおり、「十二弟子」もその中に含まれます。多くの弟子たちの中から主が十二人を選ばれた理由。それは、人を神から引き離す「汚れた霊」に対峙する権能を与え、あらゆる病気と患い癒し(マタ10:1)、ご自身のそばに置きまた送り出して宣教をさせるため(マルコ3:14)でした。こうして神の国・福音が全世界へ広められ、ご自分の弟子を主が訓練されたのです。特に主ご自分が自らを低くされたように、弟子たちも競い合うのでなく(マルコ10:35-45)、謙虚に互いに仕え合う訓練を大切にされました。

「 イエスの語る旧約の福音(7)『いつも、あなたがたと共に』 」友納靖史牧師(2019/03/17))

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 「これまで一度も通ったことのない道であるが、あなたたちの行くべき道は分かる」とモーセの後継者ヨシュアは力強く語りました。人生の歩みを譬える言葉に、「道」「山登り」「航海」、そして「川を越える」などがあります。エジプトの奴隷状態から救い出され、荒れ野で40年、遂に「約束の地」カナンを目前にして、なお多くの困難をイスラエルの民は経験しました。その道半ばでヨルダン川を渡る出来事は、この旅路のハイライトとしてヨシュア記は語ります。春の季節、ヨルダン川の水は両脇の堤を超えんばかりに満ち(3:15)、そこを渡れと命じられた民は不安と恐れを抱いたことでしょう。

「 永遠なる神」 渡部信牧師(2019/03/10)

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さて、皆さまは毎日、どのような人生の目標に向かって生活しておられるでしょうか。恐らく「永遠」というと、今では忘れられた言葉のように、私たちは、今、目の前の毎日、毎日を生きるだけで精一杯の生活を送っていると思います。朝、起きると、すぐ着替えて、顔を洗い、テレビをつけながら食事をし、ある人は新聞を読み、そして学校へ、仕事場へ、そうでない人でも、散歩なり、病院に行ったり、クリーニング屋、郵便局、銀行と用事を抱え、何もしない人でも、ネットやスマートホンで情報を交換し、その日、その日が目まぐるしく生活していると思います。毎日が「今」の出来事に負われた本当に忙しい日々です。

「 イエスの語る旧約の福音(6)『誘惑に打ち勝つ力』 」 友納靖史牧師(2019/03/03)

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 申命記は世代交代の節目を迎えたイスラエルの民に、神がモーセを通して語られた御言葉集です。出エジプトを経験した第一世代は、モーセをはじめ年老いていました。荒れ野での四十年の神にある訓練を経て、約束の地カナンへ入る直前に、第二世代の人々にシナイ山での神との契約を改めて思い起こさせられます。その中でユダヤ人全てが今なお、幼い頃最初に暗唱し、継承している御言葉が、「聞け(シェマー)、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい(申6:4-5)」です。

「 イエスの語る旧約の福音(5)『神に誓わない理由』 」 友納靖史牧師(2019/02/24)

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 キリスト教結婚式のハイライトは「誓約Vows」です。その最後に牧師は新郎新婦それぞれに「あなたは誓いますか(oath)」とは尋ねず、「約束しますか(promise)」と問います。なぜなら、主イエスの今日の言葉に基づき(マタイ5:34)、神にも人間に対しても、私たちは一生向かい合う相手と共に生きることをその時には真剣に、真摯に誓う心があっても、弱さと危うさを抱えていることを忘れないためです。

「 主の日、主の時、主の約束 」 山下真実牧師(2019/02/17)

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「いよいよ…」という気持ちになることがありますか。十字架にかかり、3日目に復活されたイエス・キリストは、弟子たちに「御自分が生きていること、数多くの証拠をもって」示されました(3節)。そして、その生涯に渡って語られていた「神の国」について改めて話をされ(同節)、さらには以前から語られていた通り「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」(4節)と、「聖霊」について語られました。そんな中、弟子たちの中では、ある期待が高まってきたのです。

「 イエスの語る旧約の福音(4)『愛するに値する人とは?』 」 友納靖史牧師(2019/02/10)

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 「私は(あの人は)、愛されるに値するのか否か?」と自問自答したことはないでしょうか。しかし主イエスは語られるのです。「敵も、悪人も、迫害する者さえも、誰であっても神にとって愛されるに値する人である。だから愛し、祈れ」と。そう教えられても、心にはなお少し違和感が残ってしまうようです。

「 イエスの語る旧約の福音(3)『神にできないこととは?』 」 友納靖史牧師(2019/02/03)

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主なる神は、アダムとエバ(創2:9)、カイン(創4:9)以来、常に「対話」を大切にされるお方です。「富める青年」との対話において主イエスも、彼の抱える誤った神理解と信仰姿勢に気づかせようとされます。
この青年は純粋に主に教えを請いたいと近寄り質問したのではなく、完璧な人生を歩んでいると信じこんでいた彼を承認して欲しかったのです。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と尋ねました。「永遠の命」は本来、神から与えられ「授かる」もので、人間の努力により「得る」ものではありません。まず彼の心にズレを感じた主は敢て問います。

「 イエスの語る旧約の福音(2)『神が 生きる者の神 』 」友納靖史牧師(2019/01/27)

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 江戸時代のキリスト教禁教令を受け、全ての人が氏子(神社)や檀家(寺院)に強制的に紐づけされ、「五人組」「家」制度が今まで根強く日本人に影響を与えていました。いにしえから続く先祖崇拝と融合し、家の墓を守る義務と責任が必要以上に「今ここに生きる者」に大きな負担を与える境遇にある方はおられないでしょうか。主イエスは「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です」と語られ、現代に生きる私たちにも実に大きな希望をもたらします。