「『一つ』 とされるために」 友納靖史牧師(2019/09/08)
[聖書]エフェソの信徒への手紙4章1~16節
人間が成し遂げることが最も困難だと言われること。それは「『一つ』となる」ことです。国、チーム、家庭、夫婦、そして教会さえも…。にもかかわらず使徒パウロは、主イエスが抱いておられた希望(ヨハネ13:35)である、キリスト者(キリストの弟子)が愛によって一つとされると信じていました。エフェソは当時、小アジアの大都市で宗教的・道徳的に退廃していただけでなく、教会内の様々な不一致が主を悲しませていました。それでもパウロは宣言するのです。「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」(4:13)と。
パウロはキリストが建てられた教会に対し、具体的な目標(信仰のマスタープラン)を二つ掲げました。一つは、私たちキリスト者が「成熟した人間になる」ことです。成熟(Maturity)とは、成長(Growth)という人間の目に見える形で成長する外見的な外なる人(キリスト者が増える量的)なものと異なり、内なる人が霊的(質的)に神の目に「良し」とされることです。パウロはそれを「新しい人(4:23)」「光の子(5:8)」「霊に満たされる(5:18)」とも表現しました。その人の示す具体的行動として、「招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容…愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれ、霊による一致を保つ(4:1-4)」ことだと語ります。パウロが教会のことを「キリストの体(コリント一12:31)」だと譬えたように、5章11節以下にも、教会に召された一人一人の存在と、異なる賜物を認め合い、喜び合うことこそが成熟した大人とされると語るのです。
二つ目の目標とは、教会における「神の御子イエスに関する信仰と知識の一致」でした。パウロは次のことが一つだからこそ、教会が一つになれると信じます。つまり「主は一人、信仰は一つ、バプテスマは一つ、すべてのものの父である神は唯一で、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられる(5:5-6)」からだと。教会の土台となる唯一の信仰的認識とは、「わたしも、あなたも、主イエスの十字架の血によって赦された罪人です」ではないでしょうか。そして、その私たち「罪を赦された罪人」が、神の働きに召され、用いられ、世の終わりの時に完成(成熟)させて頂けるとの希望を抱いて、教会は前進し続けるのです。
この信仰のマスタープラン(What God wants us to be)に基づいて、私たちが神の願う長期計画(What God wants us to do)を語り合うなら、良い土地に蒔かれた種のように日本の教会を三十倍、六十倍、いや百倍に主が成長させてくださると信じます。
※ミッション・ステートメント
(Who we are:教会の存在目的)