「信条から告白へ⑨『完全なる罪の赦しを信じる』」 友納靖史牧師(2018/10/07)

ペトロの説教を聞いたエルサレムの人々は、「(十字架につけられるイエスを茫然と見守った)わたしたちはどうしたらよいのですか」と問います。すると「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい(使徒2:38)」とペトロは答えました。人が神によって救われている確信を得ることができるのは、善い行いによる自分の努力ではなく、ただイエスの「贖い(あがない・負債が帳消しにされる意)」によると聖書は語ります。コロサイ書も、「神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださった(2:13-14)」と宣言します。

聖書が語る「罪」とは、英語のCrime(犯罪)ではなく、Sin(神の前で良しとされない罪)のことです。罪は大きく二つに分けられ、「自ら犯すもの」と「気づかずに犯すもの」があります。前者は、神の戒め(律法)を知っていながら、誘惑に負けて自ら選択してしまうもので、アダムとエバの失楽園の原因となりました。しかし後者のように神を知らず、未成熟な者である故に、神と他者とを悲しませてしまうことが多くあります。戦争や経済競争社会に生きる限り、その問題は消えません。自分は正しく生きていると思っていても、人間である限り、全ての人は罪人であり、聖であり義なる神の御前に立てない存在となったのです。そこで様々な罪や罪意識から解放されることを人は求め続け、修行や善行に励む宗教がこれまで世界で派生しました。しかし聖書は語ります。「十字架の血によって(1:20)」、「この御子(イエス)によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ている(1:14)」と。

「罪の赦しを信じる」と使徒信条のように告白することは大切です。なぜなら、罪(ギ:ハマルティア)すなわち、「的はずれな生き方」を生まれつき行う私たち人間が、何よりも犯してしまう最大の罪とは、神が御子イエスを私たちの罪を赦すため、十字架にかけて、死をもって贖ってくださったことを知らず、又それを忘れて生きることだからです。だからこそ、日々の祈りと交わりの中で常に思い起し告白することが罪から離れ、罪から解放される力となるのです。

主イエスは、罪の暗闇に留まる生き方ではなく、愛し合うという光の中に生きる道を与えられました。こうして、罪が赦されるために善き行いをするのでなく、無条件で神に赦された喜びと感謝から、善き生き方へと押し出される者とされるのです。「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる(ルカ7:47)」と主より語りかけられた女性のように、私たちも神に完全に赦されている喜びと感謝の信仰告白が、日々の行動で証しする者とされますように。

 

 

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