「名を与え呼ばれる神」連盟教会教育専門委員 富田直美先生(2019/10/27)

[聖書]詩編147篇1~11節

大切な一人として
 一つの命が誕生するとその命に責任を持つ者は、一生懸命名前を考えます。その命に最もふさわしいと思う名前を考え、その名前に意味や願いを込めます。
 ポール・トウルニエの『なまえといのち』と言う書籍には『名前で呼ばれることによって自分は他人と分けられ、区別されるのですが、他人と自分を結びつけているのもこの他ならぬ「名前で呼ぶ」という事実によるのです。この区別すると言う行為は、自己を形成していくことによってなされます。はじめ母親から、次に他の人々から、そして最後にはより広く複雑な世界から、と言う具合に、子供は次第に自分を他と異なった存在として認識してゆかなければなりません。しかし同時に、彼が名前で呼ばれ、それに応じなければならないことから、連帯という行動ができ上がっていくのです。』と書かれています。名を呼び、呼ばれるというのは、それほど自分の存在をかけた大きな出来事なのです。神さまは、人を無名の取り替えうる者としてこの世に送り出したのではなく、名前をもって呼びました。
 イザヤ書49章1節には、「主は母の胎にある私を呼び、母の腹にある私の名を呼ばれた」とあり、イザヤ書45章4節には「あなたが私を知らなくても、私はあなたに名を与えた」と記されています。
名を与え呼ばれる神
 詩編147編には、名前を呼ばれたことのない人の詩が記されています。追いやられた人々は名前を呼ばれたことがありませんでした。どこの誰かということを知る必要がなければ、名前は必要のないものなのです。数を数えることもありませんでした。大勢ではあったけれど、それが幾人か知りたいと思う人がなかったからです。それでも 傷ついた民は神を賛美します「主は星の数を定め、その全ての名を呼ばれる」と。
 私はどういう存在なのだろう、いったい何の値打ちがあって命が与えられ、大事に愛されるのだろう?生まれたばかりの子どもはそんな風に考えたりはしません。それでも誰が愛してくれているかを知っています。大人になった私たちも、誰が愛してくださっているかを知っているはずです。神さまがかけがえのない一人として、名前を呼んでくださっていることを感じることができたら、名もなき捕囚の民のように「主は星の数を定め、その全ての名を呼ばれる」と賛美することができるのです。
教会学校は
 名を与え呼ばれる神は、名のある友を慈しんで「共に生きよ」出会わせてくださった大事な場所です。神さまからいただくみ言葉の糧で「共に生きること」を具体的にしていく働きです。そして神さまは、信じる者だけをお呼びになるのではありません、全ての人を呼びたもうのです。

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