「忘後向前(ぼうごこうぜん)の信仰」友納靖史牧師(2018/12/30)

 「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ…走ろう(フィリピ3:13-14)」と語る言葉に、使徒パウロの信仰姿勢が明示されます。当時のフィリピ教会も課題を抱えていました。私たちのために十字架に架けられ、三日目に復活されたイエスを救い主・キリストと信じるだけで救われる明快な福音の真理に対し、その他の救いの条件を求める人々がいたのです。「割礼を受けなければ、あなたがたは救われない(使徒15:1)」と律法(ユダヤ)主義に染まったキリスト者との信仰理解でパウロは苦闘していました。
救いは「ただイエスを信じる信仰から与えられる」との確信をパウロは与えられていました。ですが、律法主義者によって、「あなたはあれも、これも足りない」と人格的、精神的、霊的な不完全さを指摘されると、反論できない自分を知っていたからです。だからと言って真理に口を閉ざさない決意の中、冒頭の言葉が発せられました。
 「わたしは、既に《それ》を得たわけではない。既に完全な者となっているわけでもない(3:12)」とパウロの魂の叫びが記されます。世の終わりの日に与えられる復活の体(霊の体)への希望と共に、成熟した全人的な(精神性・関係性・霊性のバランスが整った)人、《それ》にはまだ至っていないと告白します。しかしながら、キリスト・イエスの愛によって捕らえられ(救われ・結び付けられ)ている確信に立ち、今は不完全でも、神の目には完全な救いが与えられている希望が語られます。だからこそ今は「わたしたちが到達したところに基づいて進みましょう(聖書協会共同訳3:16)」と、それぞれに与えられた信仰を認め合う愛の共同体として歩もうと勧めます。パウロにとって、「後ろのもの」とは、過去の罪・過ち、恥ずかしい失敗、更には成功体験でさえも、全てを後に置いて、生ける神が今、行われようとする前に目を向け、何よりも天に目を向ける信仰〔私たちの国籍は天にあり(3:20)〕を語ります。
キリストが示され、私たちも天で共に与えられる「広い心〔寛容な心〕」(4:5)をこの地上でも持つ秘策として、パウロは自らの経験から4章4節以下で分かち合います。それが、「喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて、祈りと願いをささげ、求めていることを神に打ち明けなさい」です。
 私たちはパウロのように、分かっていても出来ない弱さ(ローマ7:15)を思い知らされます。それでもなお愛し、捕えて、私たちを離されないキリストの愛に触れた使徒パウロ。だからこそ彼は、過去の自分、昨日までの自分を振り返り思い出して嘆くのではなく、「忘後向前」いや「忘後向天」する信仰を私たちにも与えられたのです。新しい年に前に、天に目を向けて喜び、感謝し、祈りつつ歩み出しましょう。
 

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