「 イエスの語る旧約の福音(13)『“癒し”以上に大切なこと』 」友納靖史牧師(2019/05/19)


[聖書]列王記下5章9~14節、ヨハネによる福音書9章1~12節
主イエスは「列王記」の預言者エリヤの奇跡、またエリシャによって異邦人ナアマンになされた奇跡に言及し、目の前で神の業と恵みを目の当たりにしても見えていないことを辛辣に語られました(ルカ4:27)。今日の列王記下には、預言者エリシャが数々の奇跡を通し、不信の時代に生きる人々を主に立ち返らせる働きが記されます。当時、アラムの王より重用された司令官ナアマンは重い皮膚病で苦しんでいました。それを知ったイスラエルから捕虜として連行されたある少女が、「神の人エリシャに会うならきっと癒される」と語ったその一言に王が動かされ(5:3-6)、ナアマンはエリシャの住まいを訪ねる道が開かれます。けれどもこの時、エリシャがナアマンに直接会わず、使いの者に「ヨルダン川に行って七度身を洗え。そうすれば、あなたの身体は元に戻り、清くなる」と伝えたことがナアマンを苛立たせました。そして彼が期待したような対応をしなかった預言者に憤慨し、その場を立ち去ったのです。しかし家来の一人が執り成します。「あの預言者が大変なことをあなたに命じたとしても、あなたはその通りにしたに違いありません。あの預言者は『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではないですか」と。この家来の一言でナアマンは、エリシャの言葉に従うことを選び直し、ヨルダン川で身を七度浸しました。すると「彼の身体は元に戻り、小さい子どもの体のように清くなり(5:14)」、身も心も新生を体験します。
ヨハネ福音書に記される「生まれつき目の見えない人を癒す奇跡」には、主イエスの癒しの業の目的が明確にされました(9:1-41)。弟子たちは、人生の苦難や病いに置かれた人々の魂の(霊的)苦痛に対する意味と目的を主より聞くことになります。生まれつき目の見えない人が、本人やその両親に罪があるのでなく、「神の業がこの人に現れるため」だと。こう語られた後、主はご自身の唾を地面の土とこね、その人の目に塗り、「シロアムの池に行って洗え」と命じられます。すると彼は<素直>に主イエスに従い、直ちに目が見えるようになりました。この奇跡物語は肉眼の目が癒される以上に私たちの信仰の目が開かれて生きる恵みが証しされているのです。
身体の癒し、苦悩からの解放を得ることは確かに大切です。しかしそれ以上に、全ての人を分け隔てなく愛される神と出会い、<素直>に神の御言葉に従うことこそが、本当の癒しであり、「救い」です。人生の苦しみや痛みの意味が分からない時、私たちの苦悩は深まります。人生の全ての出会いと出来事が、神の御手の内にあることを信じる時、真に魂の平安が得られます。主なる神と主イエスに遣わされた人々の言葉に耳を傾け、霊の目を開かれて歩む者とされて参りましょう。

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