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「信条から告白へ⑦『再臨の主を信じる』」牧師 友納靖史(2018/09/02)

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「マラナ・タ」とはアラム語(ヘブライ語方言)で、「主よ、来てください」という意味で(黙示22:12,20、コリント一16:22)、『再臨・さいりん』とは、主イエスがこの世に再び臨まれ、つまりこの地上へ戻って来られることを表す神学用語です。福音書において、マタイは「人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る…(24:30)」と語り、ヨハネは「…あなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える…(14:3)」とそれぞれに主イエスご自身が再来を語った箇所が証しされます。前者マタイの再臨は、この世の終わりの時、神の裁きと新生が人類の歴史の中で起きる預言です。しかし、後者のヨハネの箇所は、主イエスを信じる一人一人が地上での終わりを迎える時、主イエスが私たちを神の御許へと導かれる出来事が約束されています。

歴史を振り返ると、初代教会も、主イエスの再臨は直ぐに来ると信じつつ、緊張感を持って歩んでいたことが分かります(テサロ一4:15~他)。しかし、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存知である(マタイ24:36)」の主イエスの言葉通り、世の終わりを特定することが目的ではなく、主イエスがいつ来られても良いように備える信仰を育むことが目的であったと後に人々は気づかされました。日本キリスト教史を見ても、世の中が混乱し戦争の足音が響く時代、内村鑑三のように「再臨待望論」を唱え鈍った信仰心を奮い立たせ、教会のリバイバルに火を灯したように、今も私たちは正しい再臨信仰に立つことが求められます。「御国が来ますように」。主の祈りのこの言葉には、世の終わりが来て、神の裁きを待ち望む信仰者を主イエスが求めておられたのでは決してありません。この世に多くの課題や痛みがある時こそ、その時代に生きる者たちが神の御前に悔い改め、福音を大胆に人々に告げ広め、神の御心が行われ、神の国(天の国)がこの地上に到来するために働くことを、主イエスは願っておられることを心に刻みましょう。主なる神の愛と義とは、実にバランスのとれた緊張関係の中に存在するからです。

今、私たちはこの主イエスの再臨を信じる信仰をどのように育み、信じ、告白し続けることが求められているのでしょうか。世界の痛みに敏感となり、関わり続ける感性と、個々人の日々の生活における生への関心も、バランスが求められます。これこそが、キリスト者のスチュワードシップとして教会生活の中でも育まれていくことに気づかされ、使徒信条の次に告白される「聖なる公同の教会」となる基盤がここにあります。いつ再臨があっても、恐れずに生きる喜びを育み、主に仕える者とされますように。「マラナ・タ 主よ、来てください」。

 

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