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「 信条から告白へ⑧『教会の使命を信じる』 」 友納靖史牧師(2018/09/16)

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「使徒信条」の後半には、「聖」という言葉を繰り返し用い、「我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり…を信ず」と告白されます。「神の霊」に付記されることは当然ですが、不完全な者の集う「教会」や「交わり」に対して「聖なる」と告白することには少々戸惑いを覚えます。ここで訳される「教会」は“エクレシア”(<神が集められた人々の>集会)、「交わり」は“コイノニア”(分かち合い・神と人との霊的な交流)が用いられています。つまり、私たち全ての者は罪人ですが、その交わりに神が介入されるとき、神が「聖さ:ハギオス(異なる・神が分離するの意)」を与えられるので、キリストの教会と、そこに集められる人々の交わりは「聖別」される希望が告白されるのです。

エフェソ5章25節以下には、キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をお与えに(十字架で犠牲と)なられたのは、「言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるもの」とするためだったと告白されます。そして終わりの時、主イエスの御前において、「しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会をご自分の前に立たせる(5:27)」ことが神のご計画であると約束されました。この箇所は、夫婦の愛の関係性とキリストと教会の関係性とは共通していると譬え、聖書の驚くべき神秘が解き明かされています。つまり、全く別々の存在であった男と女とが神によって招かれ、一つの夫婦とされていくようにキリストの教会(エクレシア)に招かれた人々は、互いに仕え合い、愛し合う関係を深めることで、かの時には栄光に輝く、聖なる、汚れのない、主イエス・キリストの前に恐れずに立たせて頂く者へと変えられていくと告白されたのです。夫婦が一つとされる目的と使命は「互いに愛を育む」ことであるように、教会がキリストによって立てられた目的も、様々な違いを乗り越えて「互いに愛し合う」とこであることが証しされています。

「教会」とは、「公同:カトリコス(普遍的・違いを乗り越えて一つ)の教会」であると、使徒信条は告白しました。今日、世界中に存在する教会(「目に見える教会」)は、様々な働き役割に違いがあっても、実は「見えない教会」として、キリストにあって一本のぶどうの木(一つの身体)として、前もって主イエスは語っておられたのです(ヨハネ15:1-17)。キリストが教会に託された使命とは、互いに愛し合うこと、様々な課題を乗り越えて一つとされることでした。それが正に「しみもしわのたぐいもない者」として、造り替えられ、神の前に「聖なる公同の教会」、また「聖なる交わり」と呼ばれるようになることだからです。現実の世界で、夫婦そして教会も、しみやしわだらけの美しいとは言えない状態かもしれません。それでも、御言葉は私たちにチャレンジするのです。「互いに仕え、互いに愛し合おう(ヨハネ15:17、エフェソ5:21)」と。

 

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