「豊かに生きる秘訣」友納靖史牧師(2019/01/06)
「豊かさ」とは何でしょうか。通常、物質的な必要が十分に満たされることを表現する言葉です。しかし、ここでパウロが語る「豊かさ」とは、物質的必要が備えられているか否かに関わらず、自分の置かれた境遇で、「満ち足りる」心が与えられる信仰の豊かさのことです。11節の「満ち足りる(ギリ語:アウタルケス・新約でこの一カ所のみ)」とはギリシャ哲学ストア派が人生観を語る際に好んで使った「自己充足」を意味する言葉で、自分の願う知識、知恵、地位や物品が充足した状態を表しました。けれどもパウロがここで用いたのは、十字架の死に至るまでの生涯と復活、そして栄光に包まれたキリスト・イエスを知ること、又その道を自らも主と共に歩むとき、誰からも奪われることのない喜びと感謝を感じる心、即ち信仰が語られたのです。
パウロはこの手紙の冒頭と最後に、豊かに生きる秘訣を具体的に語りました。まず1章で、「…これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです(1:20-21)」と告白します。長く生きることも、たとえ短い人生であっても、彼の人生全ては主イエスのため、福音宣教という明確な使命(ミッション)のためなので、どちらであっても心は平安と希望で満ち足りていると語りました。次に4章19節で、「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます」と、私たちの人生に本当に必要なものであれば、全能の神は備えてくださる徹底した信頼が宣言されます。正にこれは主イエスの語られた、『「何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」 (マタイ6:33)』と、神の偉大な力を信じ、祈り求めることを命じられた御言葉と重なります。主なる神との豊かな信頼関係の中で育まれる信仰によって「自分の置かれた境遇に満足することを《習い覚え》」たパウロは、この偉大な神の栄光の富を受けて歩む者となるようにとフィリピの教会にも勧めるのです(4:19)。
福音宣教のため投獄され、極貧の中でも、その教会がパウロに何度も贈り物を届けて支えてくれた愛の行為に感謝を表します(4:14)。苦しみの中に置かれた隣り人と同じ痛みを体験することは出来ないかもしれません。しかし、愛の業を通して苦しみを共に担い合うことは可能だと、パウロは語るのです。
新しい年、いかなる課題が与えられるとしても、世の痛み全てを先立って担われた主イエスを見上げ、希望を頂きつつ歩みましょう。なぜなら、「いついかなる場合にも対処する秘訣」を授けられ、福音宣教の豊かな業を共に担うことを託され、生かされているのですから。