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「 わたしの道を歩くために」山下真実牧師(2019/03/31)


[聖書]箴言3章5~6節、マタイによる福音書18章10~14節
 私たちの人生は、よく「道」に譬えられます。高村光太郎氏は「僕の前に道はない/僕の
後ろに道は出来る」と詠いました(詩『道程』)。私たちは皆、その道を歩いて今に至り、今立っているところから、またその道を歩き続けてそれぞれの人生を生きていきます。
 イエス・キリストは「迷子の羊」の譬え話を通して、私たち人間――その中でも特に「小さな者」と呼ばれる人たち(10節)――が時にその道から「迷い出る」(12節)ことがあるということを教えられました。そしてご自身が、そのようにして「失われたものを救うために来た」(11節)、また「これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」(14節)と語られました。
 もし羊が羊飼いの声を聞かず、自分勝手に歩いて行ったならば、いずれ自分が今どこを歩いているのかも、どこに向かっているのかもわからなくなってしまうでしょう。私たちはどうでしょうか。私たちがもし神さまの声を聞かず、自分の限りある知識や理解にのみ信頼を置いて生きていくならばそれは、羊飼いのいない羊と同じであると聖書は教えているのでしょう。時に私たちは、周りの大きな声に押しつぶされ、惑わされ、自分の歩むべき道が分からなくなる、そのようなこともあるかもしれません。
箴言3章の言葉は、そんな私たちに対する神さまからの大切な教え、また助けの言葉です。そこではまず私たちが「心を尽くして主に信頼」すること、そして「自分の分別に頼らず」(5節)に、「常に主を覚えて」(6節)歩むということが教えられています。羊飼いなる主なる神さまは、迷子の私たちを見つけ、その進む「道筋をまっすぐにしてくださる」(6節)と聖書は語っています。
 そしてここでは、私たちが歩む道について、それは「あなたの道」(6節)である、と聖書が語っていることにも私たちは気づきます。その道は、誰か他の人の道でも、誰かに用意された道でも、神さまの道でもありません。それは、他の誰でもない「あなた」の存在が大切なのだという神さまからのメッセージです。「常に主を求めて」歩む時に見えてくる「まっすぐ」な「道筋」、それは失われていた「あなた」が、本来の生き方を取り戻して歩む「あなたの道」なのです。
 イエス・キリストは、迷い出た「小さな者」を捜して救うために来てくださいました。私たち一人ひとりの中に弱さがあります。私たちの間に「小さな者」がいます。それはイエス・キリストご自身の姿でもあります(マタイ25:40)。一つひとつの小さなこと、一人ひとりの小さな命が大切に見出され、あなたが「あなたの道」を歩むことができること、それこそが神さまの御心であり喜びなのです。
「その一匹のことを喜ぶだろう」(マタイ18:13b)
 

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