<成人感謝礼拝>「イエスの語る旧約の福音(33)『あなたは聖別された人』 」友納靖史牧師(2020/01/12)
[聖書]エレミヤ書1章1~12節、マタイによる福音書28章16~20節
南ユダ王国が黄金期から滅亡へと向かう激動の時代(2700年程前)、若干20歳頃のエレミヤは、神の言葉を伝える預言者として選ばれます。主が彼に臨んだ時、エレミヤの口から発せられたのは「わたしは語る言葉を知りません…若者にすぎませんから(エレ1:6)」でした。けれども主は、「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな…(1:7-8a)」と答えられます。これを聞いたエレミヤは戸惑いつつも主と対話を続けます。すると主の御手が彼に伸ばされ、口に触れられ、御言葉と幻が与えられます。こうして神のトレーニング(訓練)はスタートし、エレミヤは徐々に整えられていきます。何よりも次の言葉は彼の人生の試金石となりました。「わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す(1:8,1:19)」。
これは主イエスが復活され、天へと帰られる直前、残された11人の弟子に語られた「大宣教命令」で「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる(マタイ28:20)」と語られた同じメッセージでした。こうして注がれた神の言葉はエレミヤを支え続け、与えられた使命と人生を全うする力となったのです。なぜなら、自らの存在(命)の意味と理由を知り信じることが、生きる力の源となるからです。主は「あなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた…あなたを聖別し、…立てた(1:5)」と語りかけられました。これは復活の主イエスと出会い、迫害する者から迫害されても恐れずに真理を語り伝えたパウロの告白とも重なります。「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった(ガラテヤ1:15)」。
もう一つ彼の生きる力の源とは、自らに与えられた使命を知り、それが自分ではなく神から託されていると信じることです。若干20代のエレミヤが彼以上に社会経験や地位ある人々の中で「諸国民の預言者として立てる(1:5)」と語られ、戸惑ったのは当然です。それら神の語りかけは、彼らだけに与えられたのではありません。特に「神が共におられる」とのメッセージ。これは、神の御子イエスが2020年前、インマヌエル(「神、我らと共にいます」の意)として誕生された時から、私たち全ての者に実現したのです。神がエレミヤに「あなたを聖別した」と語られたのは、罪なき聖い者とされたのではなく、様々な課題や弱さを負いながらも、神がその「人」を取り分け、課題多きこの世のただ中で、その「人(あなた)」を通して救いと希望の道を備えようとされたからでした。
今、若者たちが対面しようとする時代は、政治・経済・社会環境的視点からも多くの課題が山積しています。しかし、それでも主なる神は語られます。「恐れるな」と。