「 イエスの語る旧約の福音(4)『愛するに値する人とは?』 」 友納靖史牧師(2019/02/10)

 「私は(あの人は)、愛されるに値するのか否か?」と自問自答したことはないでしょうか。しかし主イエスは語られるのです。「敵も、悪人も、迫害する者さえも、誰であっても神にとって愛されるに値する人である。だから愛し、祈れ」と。そう教えられても、心にはなお少し違和感が残ってしまうようです。
 祭司のマニュアル本とも呼べるレビ記には、神の民ユダヤ民族だけが、兄弟や隣人と呼ばれ、愛することが求められました。それも良き同胞だけに対してです。又、「復讐してはならない」との言葉も、民族同胞同士の限定される戒めでした。それは主イエスの言葉(マタイ5:43前半)「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている」と語られた通りです。ところが、主は当時の価値・倫理・宗教観に相反し、驚くべき挑戦状を叩きつけたのです。「しかし、わたしは言っておく、敵を愛し、自分を迫害する者のためにも祈りなさい(同・後半)」と。
 どうして主はそう語り、命じられたのでしょうか。理由はただ一つ。神が創造され(命を与えられ)た全ての者を神が愛されているからです。一方の側から見た「敵」が全ての者にとって「敵」とは言えないように、人が人を評価し判断する視点には偏りがあります。様々な痛み課題を超え、あえて「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈る」理由について、主イエスは「あなたがたの天の父の子となるため」ですと語られました。イエスを信じる時、その人は父なる神の子とされます。しかし次なるステップ、神の御性質を受け継ぎ、神に似る者となる必要性があるのだと。
 主イエスは、「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と語られました。ここで使われる『完全:ギリシャ語テレイオス』とは「聖なる(Holy/Wholly)」(レビ11:45)に近い意味を含み、神に対して使う場合には「全く欠けのない完成された状態」を意味し、一方、人に対して用いるときは「成人し円熟の域に達した状態」と少し異なる意味に使い分けられます。つまり、人間が神と同じ完全になることでなく、神の完全性を深く理解し、そのみ旨を知って選び取る者へと成熟することを主は求められたのです。
 不完全な私たちが完全な神を全て理解することはできません。しかし主イエスを通してハッキリ教えられていること。それは、「神が全ての人を愛しておられること。だから、私も全ての人のために祝福を祈り愛せるように助けてください」と聖霊なる神がこの私をも導いてくださることです。この信仰を通して神の奇しき御業、祝福が私たちの人生に注がれることを共に体験させて頂きましょう。私たちも知らないところで、誰かに祈り執り成され、主なる神の豊かな恵みと救いの中に招かれているのですから。

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