「神の国の住人」渡部信牧師(2019/12/29)
[聖書]マタイによる福音書6章9~15節
本年最後の主日礼拝となりました。この1年間最後の礼拝で「神の国の住民」と題した聖書のメッセージを共に学びましょう。聖書箇所は、マタイ福音書の「主の祈り」の箇所を選びました。何故かと申しますと、私たちは、このせわしい人生の歩みの中で、様々な出来事に出会い、楽しいことも、悲しいことも、また喜びのことも、困ったことも、病気から癒された人も、病気になってしまった人も、全部が混在している中で、生きている。このような雑踏の中で、私たちは何者なのか、忘れてしまうときに、この「主の祈り」を祈ることができるとしたら、その時こそ、私たちは、今、目には見えませんが、神様の支配と守りの中にあること、神の国の市民権を持っているその住民であることに気づくことができるからです。
そこで、まずマタイから主イエス・キリストが私たちに教えられた主の祈りについて学んでみましょう。「天におられるわたしたちの父よ。御名があがめられますように」。神は目にみえませんが、天地万物を創造されたまことの神様は正義と愛と赦しをくださる、この神様の御名が、あがめられますように。賛美され、ほめたたえられます様に。この祈りから私たちの心は、この地上の事から解放され、天へと心を向けることができるでしょう。四方八方、四面楚歌の状況でも上の天窓はいつでも開います。いつでも、どこでも私たちは、その方に向かって、祈ることができるのです。「あなたの御名があがめられますように」。人の考えや心は狭く、人と人とはいつも摩擦が起き、周囲に気遣いながら生活をしている。でも神様の心は広く、天に向かって祈るものの祈りを聞いてくださる。主がその弟子たちに教えられた主の祈りは素晴らしい祈りではないでしょうか。これは、一人でも祈ることのできる祈りなのです。
「御国が来ますように。御心が行われますように」。私たちは、毎日、目に見える社会で生きていて、あらゆる法律と義務を果たしながら日本国という中で生活しています。けれども、この主の祈りを祈ると、神の御国を待ち望むものと召されていて、これを祈ることのできる人は、既に神の国の住民に登録された一人なのです。神の国とは、天の神様の支配にある領域のことです。別に空の上に国があるわけではありません。つまり、目に見えない神の支配が及ぶ時と場所は、みな神の国であり、私たちは、イエス・キリストを信じる者は、既にその神の国の住民なのです。そして、神の御心が「天におけるように地の上にも」神の御心が行われますようにと。地の上にとは、目に見えない支配が、目に見えるこの地上で成就しますように」という願いです。
クリスチャンは、様々な矛盾を抱きながらも私たちの信仰生活が守られることは大事なことでしょう。そしていつか天からの神の支配は、向こう側から私たちの所に来ることを信じるのです。滅びるものが滅びないものへ、この世の滅びゆくものが滅びない神の国の支配へと上から飲み込まれて行く。そして神の国が私たちの内に成就されるのです。