「 イエスの語る旧約の福音(30)『元気になれる秘訣』」友納靖史牧師(2019/12/15)
[聖書]イザヤ53章1~6節、マタイによる福音書8章14~17節
マタイ8章に、主イエスが病を癒された三つの記事があります。最初に重い皮膚病を患っていた人が、主を信頼し自らの願い以上に神の御心が優先されることを願い、癒される物語。次にローマの百人隊長が、主の言葉を頂くだけで部下の病が癒されると信じる姿に、主が最大級の賛辞を贈り、「あなたが信じたとおりになるように」と宣言され、癒される物語。最後は弟子ペトロの義母が高熱で苦しみ寝込んでいたとき、その人の手に主イエスが触れて病は癒され、その人が感謝と喜びを表す信仰の姿。これらの奇跡を見た人々が主の許へ悪霊に取りつかれた病人を次々と連れて来ます。すると主は、神の<言葉>で悪霊を追い出し、病をことごとく癒されました。これらの出来事のしめくくりにあたりマタイは、「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病をになった(マタ8:17/イザ53:4)」とイザヤの預言が実現したと証言します。
私たちの病は身体的な病気だけではありません。人生における苦難や苦悩は、精神的と社会的(人間関係)、更には霊的(信仰の悩み)痛みから生み出される全人的苦痛から生じる病を担って人は歩んでいます。主イエスは身体的な病気だけを看ることなく、実に様々な角度から一人一人に関わり出会い、癒し(救い)を与え、送り出されました。特に(霊的)信仰の視点、つまり「人は神の愛によって与えられる永遠の命に生かされる存在である」ことを信じる時、人は変えられます。生き辛さという病の根本原因から解放されるからです。主イエスの癒しの記事は、身体的病の癒し以上に、病を通して主イエスと出会えた人々の喜びと感動の賛歌として記されます。つまり、本当の健康とは、身体が健やかにされていくこと以上に、罪が赦され、私たちの病や痛みさえも担ってくださったお方、救い主イエスを知り、いや信じる時、本当の(魂の)健康を回復するからです。悲しいかな地上では、身体と共に様々な苦悩苦難が人の存在を脅かします。イザヤは「苦難の僕(しもべ)」と呼ばれるお方が、「多くの痛みを負い、病を知っておられ」、「彼が担ったのはわたしたちの病であり、わたしたちの痛みを負われた」の預言を語りました。これは正に主イエスが十字架に至る苦しみを担われたお姿であり、その方により私たちはもう苦しむ必要はないと宣言されたのです。これが日々の健康を保ち、「元気」でい続ける秘訣です。あのエチオピアの宦官がイザヤ書の預言が十字架のイエスであることを知り喜びに溢れて旅を続けたように(使8:26-40)。
「今、あなたは元気ですか?」。その問いに「いいえ」と正直に言える人は幸いです。なぜなら、その課題を通し、主イエスの偉大な癒しの御業を体験させて頂くチャンスになり得るからです。恐れずにあなたに与えられた病気も痛みも主イエスに委ねましょう。